占術は戦術

早いもので、このテーマで書くのは3月以来となります。最近は政治家を中心に、九星気学からみた彼らの運勢について書いてきました。ここで、九星気学を知れば、将来起こりうる災難を避けることができるのか?という疑問を持つ方もおられると思います。

まず占い、占術というものですが、どうしても胡散臭いもの、信用できないものと見られがちです。一方、そうした見方を持ったうえで「目に見えない世界も存在するのではないか?」と考える人も多くおられます。

私自身は経済・金融の世界を記者として長く見てきたことから、九星気学は統計学の一種と考えています。経済には景気サイクルがあり、人生にもサイクルがあるということです。「統計学は最強の学問である」という本がありますが、気学もその統計学の一種と見ています。

経済学と占術である気学を統計学として同じジャンルでくくるということに違和感を持つ人もおられるでしょう。経済学は科学的に立証できるが、気学はそうではない—と言う意見もありそうです。ただ私見を言わせて頂ければ、将来を予想するうえでの精度は双方とも大差無いと感じています。

リーマンショックなど大きな経済的事件が起こると、それに対して「何故起こったのか」を科学的に分析する論文が多くみられますが、ほとんど「後付け講釈」による弁解に終始しており、事前に予想できた人は非常に少ないわけです(実際に経済学で事前予想できるのであれば、ショックなど発生するはずがありません)。

一方、株式相場では干支による相場予想が年初には多く見られます。また科学的根拠は薄いものの、ほぼ10年ごとに経済ショックがおこるというジンクスもあります。実際、1987年(ブラックマンデー)、1997年(アジア経済危機・日本金融危機)、2008年(リーマンショック)と、ほぼ10年のサイクルで危機が発生しています。こうしたジンクスもあって、占術的なものは人々の心の中で脈々と生き残ってきたわけです。将来を予想する上で「占術は戦術」のひとつと言えるでしょう。

1989年の転換点

さて「気学を知れば将来の災難を避けられるのか?」というテーマにもどりますが、自分自身の経験から言えば、突発的に発生する事故、事件は残念ながら避けられないと感じます。では気学を学ぶ意味がないのかというと、そうではありません。気学を知ることによって、事故や事件からのダメージを最小化できると考えています。

ここからは経験談になって恐縮ですが、1989年(平成元年)に自分の身に起こった不運の数々忘れられません。当時、私はある小さな外資系の経済金融情報会社で日本支店長をしていました。

その年の初めに米国人のSEを雇用したのですが、学歴詐称に加えて仕事もできないので試用期間中に解雇しました。悪いことは重なるもので、そのSEが業者から会社の資金で、業務とは関係の無い高価な機器を大量に買い込んでいたことは判明したのです。頭を下げて、業者にその機器を引き取ってもらったのですが、戻ってきたおカネは、購入価格の3分の1程度だったと記憶しています。小さな会社としては結構な損害でした。

またバブル景気真っ最中でしたので、人材の採用が思うにまかせません。採用ができないどころか、育てた人材が流出してしまうことも多く、業務拡大が難しくなり、これも頭痛のタネでした。

当時は外国からの人材が多く日本に流入した時期だったのですが、過渡期ということもあり、外国人社員の処遇について、日本の制度と親会社の間に立って苦労したことも忘れられません。

株を買っても損を出しています。1989年はバブルピークの年で、日経平均株価も年末に史上最高の38900円をつけました。この年はどんな株でも、買って持っていれば値上がりしました。ですので、基礎知識が無くても、証券会社の言うままに株を買っても益が容易に得られたのです。

自分もそれにあやかろうとして、勉強もしていないのに株を買いましたが、買う時期が11月と遅すぎました。年が明けると、大方の予想に反して株価は急落。私の持っている株の価格は購入価格の半分程度になってしまいました。

私自身、32歳で未熟者だったこともありますが、こうしたストレスでイライラが昂じたことから、会社内で他の社員との人間関係も悪化しました。仕舞には12月に急性肝炎で1カ月ほどの入院を余儀なくされます。

その時に自分が感じたのは「なぜ自分だけがこんな理不尽な目にあうのか」ということです。また「この不運はいつまで続くのか」という将来への強い不安もありました。1990年に入ってからも肝臓が完治していないため、引き続き運動とアルコールを控えなくてはならず、これも結構ストレスでした。

気学の知識でダメージを最小化も

その1989年から既に28年、四半世紀以上の歳月が経過しています。これだけ時間が経過した今でも、当時のことを鮮明に思い出すことができるのですから、まだ若輩だった自分にとって、いかに大きな出来事だったかがが分かります。

では当時、人生サイクルなど気学の知識があれば、こうした災難は避けられたのでしょうか。おそらくSEの雇用失敗、人材流出、外国人社員処遇に絡む問題などは避けられなかったでしょう。

しかし気学の知識で、32歳が「停滞運」の年で、人生9年周期の「どん底」であることが事前に分かっていれば、知識のない株に手をだすことは無かったでしょう。イライラで人間関係が壊れたことについても、事前に「今年はツキの無い年」ということが分かっていれば感情の抑制が効いたはずです。

さらに、感情やストレスのコントロールができていれば、肝炎で入院するという事態も避けられた可能性があります(なぜ大酒も飲まない自分が肝炎になったのか。医者はアジア旅行で食べた食品によるものとしていましたが、今だに原因は良く分かっていません)。

また気学を知っていれば「この不運はいつまで続くのか」などと、不安のうちに日々を過ごすことも無かったでしょう。停滞運の次の年は「整備運」で運気が安定し、その翌年は「躍動運」で運気が上向きに転じてくる−ということを事前に知っていれば−。

停滞運の年には細心の注意

人生にもサイクル、周期がある−ということを知ってからは、9年に一度の停滞運の年には細心の注意をしました。「悪いことがあっても、当たり前」と考えたので、不測の事態が起きても冷静な対応ができました。人というものは、何か予想外の事態が起きた時も、その人の心の持ちかた、その後の対応次第では、ダメージを大きくも小さくもできるものです。

その後も停滞運の年は(1989年ほどではありませんが)あまりツキはありませんでした。私の場合には、交通関係のトラブルが多かったようです。1メートルほど自動車をバックさせたら、そこに他の車がいて接触事故になったり、標識の見過ごしや駐車違反で罰金を4万円も払ったり−という感じです。ただそうした場合でも、取り乱して感情を爆発させたりすることなく冷静に対処ができました。「この程度で済んで良かった」「人身事故でなくて良かった」ということです。

こうした不運もせいぜい1年程度で終わることも分かっていたので、不安も最小限に抑えられたと思います。というわけで、私自身は気学を知っていて良かったと感じています。

運にも個人差あり

九星気学によれば、停滞運の年はツキがないということですが、この不運についても人によって濃淡があります。1989年に私と同じ歳、同じ星だった人は世に無数にいたはずです。しかし、さほど不運とも停滞運とも感じないで1年過ごした人も多かったでしょう。一方、私のように30年近く過ぎても、忘れることができない不運の年だったという人もいるはずです。

停滞運の特徴が強く出る人、弱くて済む人−色々です。私の場合は強烈にでたわけで、そのために「何故、自分だけに不運が?」という疑問がずっと心に引っ掛かっていました。1991年に偶然(人生に偶然は無いという説もあります。とすれば必然かも)気学に詳しい人から話を聞く機会があり、1989年の運勢について納得したわけです。

ということは、理不尽と感じるほどの不運に遭遇したからこそ、気学との出会いがあったとも言えます。1989−90年はそれ以外でも、自分の生き方を見直す転機となりました。今では、停滞運の1989年に良い経験をさせてもらったと思っています。

「人生はあざなえる縄の如し」「人間、万事塞翁が馬」。散々な目にあっても、それが将来役立つことはいくらでもあります。また、良きにつけ悪きにつけ、過去の出来事を自分のプラスに転換できる人が「ツイてる人」だと思います。本日は過去の愚痴めいた話に終始しましたが、最後まで読んで頂いて有難うございました。

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