短期のツキと長期のツキ

自分がツイてるかどうかは、どう判断するのか? ツイてる人になりたいのであれば「自分はツイてる」と決めつけるのが良いのではないかと思います。

「ダイハード」という映画があります。ブルース・ウィルスが演じる主人公は、命を失うのではないかというような境遇に何度も遭遇しますが、その度にどうにか生き長らえます。そこで質問ですが、この主人公は運が良いのでしょうか? 悪いのでしょうか? 何度も命の危機に遭遇するわけですから運が悪いとも判断できますが、必ず生き残っていますので運が良いともいえます。私は「運が良い人」と思っています。

私も実は若い頃「自分は運が悪い」と思っていました。思い出すのは、都内の高校に地下鉄で通学していた頃のことです。時々、友人たちと新宿御苑にあるジャズやロックのレコード(CDはまだ無いころの話です)専門店に行くのですが、当時は今と違って地下鉄に自動改札がありません。駅員さんが一人一人の乗降客の定期券や切符をチェックしていたわけです(今思うと、大変な労力ですね)。

その新宿御苑のレコード屋には、よくA君と行っていたのですが、この駅は、A君や自分の通学定期の区域から外れていました。ということは、改札を出るときに追加料金を払わなくてはいけないわけです。ところがある時、先を歩いていたA君は、追加料金を払うことなく改札口を通過してしまいました。つまり、駅員さんが彼の定期の通学期間を確認しそこねたということです。当時は目視ですので、一人一人の乗降客の定期券の中身までしっかり見るのは、かなり困難だったのでしょう。

それを見て、私もA君と同様に、区間外の定期券を見せて素通りできると考え、そのようにしようとしました。ところが、何故か私の時は駅員さんが目ざとく気づき、捕まってしまいました。当時は今とは違って、学生のちょっとした過ちには寛容で、この程度では「犯罪」にはなりませんでしたが、それでも、反則金も含めて、不正乗車区間の3倍の料金を払うことになりました。

A君とは、その後も2-3回同じようなことがありました。彼は一度も捕まらないのですが、私は必ず捕まるのです。こうなると、さすがに「自分にはツキが無い」と思い知り、その後、こうした不正行為は一切やめました。A君と比較して「自分は運が無いな」と嘆息したものです。しかし、今にしてみると、むしろ運が良かったのではないか—とも思えます。不正をしても、たまたま捕まらなかっただけで「運が良い」と勘違いして、後に大きな不正で人生を棒に振る人もいるのですから。

実はツイていた

数十年後に、実際にそうした事件に遭遇しました。2007年頃に防衛省の事務次官経験者が収賄で逮捕された事件です。彼は省内に出入りする業者から、数年間にわたり多額の不正な便宜を受け、また彼の妻までもがその業者にたかっていたという事件です。

この事務次官経験者は「他の者とは違って、俺だけは運がよい」と勘違いして、こうした収賄を繰り返していたのではないでしょうか。最初の1-2度の収賄に味をしめて、その後、要求がどんどんエスカレートしていったと想像されます。

凶悪犯ではないので、もう出所していると思われますが、本人は強く後悔していることでしょう。裁きを受けたとはいえ、社会的には「死んだ」も同然なのではないでしょうか。「たら・れば」はいけませんが、もし初期の収賄で捕まっていれば、これほどの大事件には至らなかったでしょう。初犯ということで、訓戒程度で済んだ可能性も考えられますし、過ちがその後、取り返しのつかない点まで累積することも無かったでしょう。

と考えると、この事務次官経験者は「運が良かった」のではなく、むしろ「運が悪かった」というべきでしょう。私についても、もし高校の時の小さな過ちがうまくいっていれば、その後、取り返しのつかない犯罪に発展するまで過ちを積み重ねた可能性もあったわけです。恐ろしいことですね。初回のキセル乗りで捕まって懲り、その後大事に至らずに済んだのはラッキー、強運だったと言えるでしょう。その後、A君がどうしているのかは分かりませんが、この事務次官経験者のような運命になっていないことを祈るばかりです。

3億円事件をどう判断するか

ところで、1960年代後半に「3億円事件」という大事件があり、その犯人は未だに確定していません。ずっと捕まらずに逃げおおせている可能性もあり「うまいこと、やりやがったな」という羨望の気持ちを隠さない人も時々います。

これは私の直観でしかありませんが、犯人は捕まらなかったとはいえ、犯行を悔いているのではないか—と感じます。おそらく、3億円もとっくの昔に無くなっていることでしょう。

私も時々、この犯人を哀れに感じることがあります。というのは、色々な霊能力者や「あの世」の素性に通じた人から、この世で裁かれずに死んだ犯罪者には「あの世」では、この世とは比べ物にならないような苛烈な刑罰が科せられるということを良く聞くからです。うまく逃げおおせても、その犯人の最愛の人や子孫がその分、大変な苦労を強いられるという話も聞きます。勿論、神様や霊やあの世の存在を信じない人には荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんが。

いずれにせよ、犯した過ちは、遅かれ早かれ、何らかの形で清算しなくてはない—というのが「この世」「あの世」に共通したメカニズムのようです。過ちが小さいうちの清算であれば、ショックも小さくて済みますが、過ちが累積した状態での清算となれば、命とりになりかねません。自分のツキの見極めには慎重でありたいものです。

本日もお付き合い、有難うございます。