運の良い人・悪い人をどう見分けるか

ここ数年、書店でよく見かけるのが「運勢」「ツキ」に関する書籍です。現代は仕事にしろ、勉学にしろ、がむしゃらに頑張るだけではどうにもならない—ということに人々が気づきだした結果かもしれません。高度成長期やバブル期であれば「非科学的」と蔑まれた「運」とか「ツキ」とかいう目に見えない存在が見直されているようです。

私もここ数十年間、そうした事柄に強い関心を持ってきました。「運」や「ツキ」に関する本もかなり読み、自分でも実践してきた結果、どうすれば「運」「ツキ」に恵まれるかについては、朧気ながらには分かるようになってきました。

そうした「運」や「ツキ」を呼び込むコツのひとつに「運の良い人とだけ付き合え、悪い人とつきあってはいけない—」というものがあります。

ではどうしたら、相手が運の良い人、ツイてる人だとわかるのでしょうか。これは私の独断ですが、一番間違い無い判別法は、直接本人に「あなたは、自分のことを運の良い人だと思いますか? 悪い人だと思いますか?」と聞いてみることでしょう。ちょっと直接的過ぎるかもしれませんが、運の良い人は自信をもって、また微笑すら浮かべて「運が良い」とはっきり言います。一方、悪い人は苦虫を噛みつぶしたような表情で「悪い」と答えるでしょう。

中には、どちらとも答えてくれない人もいます。これは困りますね。「ノーコメント」と言う人もいるでしょうし「なんで、あなたにそれを言わなくてはいけないんだ?」とか「自分は運やツキなど超越しており、そんな事を考えたこともない」などと言う人もいそうです。運が「良い」、「悪い」だけを簡単に答えればよいのに、色々と屁理屈をつけて、答えを言い渋る人たち。私の経験で行けば、こういう人は、ほとんど全員「運の悪い人」に分類して差し支えありません。是非、試してみてください。

開運のために、運の悪い人とは付き合わない?

運をよくしたければ「運の良い人と付き合え、悪い人と付き合ってはいけない」という最初のコツに戻りますが、私自身の経験からも、これは実際に効果があると思います。この通り実践すれば確かに運は良くなるでしょう。

私自身のまわりを見ても、親類縁者や友人のなかには「自らの幸せに気づかず、一生文句や愚痴だけ言って、死んでいくんだろうな」と思われる人がいます。しかし、こうした人たちと全く付き合わないというのも実際には難しいでしょう。

また、実際にツキの無い人との付き合いをやめることができる立場であっても、それを実行することには、個人的に疑問があります。「ツキのある人は、ツキの無い人の開運を少しは助けてもよいのではないか」と思うからです(上から目線ですみません)。

現在、日本だけでなく、世界の多くの国で、人々の格差が問題になっていますが「ツキの無い人とは付き合わない」という方法を各人が徹底すれは、格差がさらに拡大し、社会全体が一段と不安定化する可能性があるのではないかと思うのです。経済用語で言う「合成の誤謬」というやつですね。ですので、この「付き合い方」については心に留めつつも、実行段階では極端になることなく、バランスをとる必要があると感じます。また、このバランスも各人が自ら考えて決めていくしかないでしょう。

「運」「ツキ」に関する本は今でも時々読みますが、最近面白かったのは「1万人の人生を見たベテラン弁護士が教える『運の良くなる生き方』西中務著、東洋経済」(上の写真)です。

内容的には、私がこれまで読んできた本と重なる部分も多く、特に驚くべき点はありませんが「やっぱりな」と納得する所は多かったです。実際に多くの人を見てきた人の発言には重みがありました。

自動販売機のつり銭

この「運の良くなる生き方」の中で、タクシーに乗っても、お釣りを受け取らない人の話がでてきます。運転手さんにお釣りを差し上げることで、運転手さんの気分も良くなり、これが世間全体に伝播して、社会全体の雰囲気が改善されていくというのです。結構なことと思います。

これに似かよったことですが、自動販売機で立ち食いソバのチケットやドリンクを買うことがありますが、おつりを受け取ろうとして券売機に指を入れると、自分が投入した金額よりも高額のつり銭があることが時々あります。私の前に買った人が、お釣りを受け取らずに去ってしまったのでしょう。立ち食いソバの場合、1000円札を投入して350円のソバ・チケットを買えば、お釣りは650円ですが、それがそのまま残っていることもあります。

こういう場合、皆さんはどうしますか。そのまま何食わぬ顔で、お釣りを全額もらってしまいますか? 誰も文句を言う人はいないでしょう。思いがけないボーナス!と考えることもできます。

私の場合ですが、そうした釣り銭は、その自動販売機を所有する店に渡すことにしています。と言っても、受け取らないことで「良い子ぶりっ子」をしようとか「自分を褒めてあげたい」ということではありません。

ではなぜなのか。自分の運やツキを650円程度で使ってしまいたくないからなのです。そのつり銭をもらってしまうと、その分、自分のツキが減ったように感じてしまうのです。特に緊急に必要ではない650円を受け取ったことと引き換えに、将来、本当に必要な時に、運やツキが割り引かれてしまうのではないか—と思うからです。「あの時、つり銭をあげたから、次のツキは少し割り引いておくね」と将来、神様に言われそうに感じてしまうのです。これは、できれば避けたいですね。

ただ、将来もし、立ち食いソバを食べるお金をねん出することも困難な境遇に陥った場合には、神様に感謝して、お釣りを有難く頂戴するつもりです。

本日もお付き合い、有難うございます。