「醜悪」な作品
ジャズのレコード、CDの中には「ジャズ史を揺るがす問題作」と言われるものが存在する。例を挙げれば、オーネット・コールマンのデビュー時の諸作、マイルス・デイビスの「Bitches Brew」や「On the Corner」などが挙げられると思う。
ジョン・コルトレーンも問題作は多い。その最たるものが1965年発表の「Ascension」だった。私がジャズを聴き始めた70年代でさえも、この作品をめぐる議論は盛んだった。
Ascensionに対する意見は、当時の評論家の間でもほぼ二分されていたと思う。ここで非常に気になったのは「アスペクト・イン・ジャズ」というFMジャズ番組を持ち、当時最も影響力のある評論家だった油井正一氏の意見だ。私の記憶が定かであれば、油井氏は彼自身による「ジャズの歴史物語」という著作の中で、Ascensionを「醜悪」として切り捨てていた。
ジャズを聴き始めたきっかけが油井氏の「アスペクト・イン・ジャズ」だった私にとって、彼の言葉は無視できなかった。ただ一方、フリージャズや新たな試みに寛容な評論家、ミュージシャンの間ではAscensionの評価は非常に高かった。
現在であれば、レンタルCDでAscensionは容易に聴くことができる。しかし当時、まだレコード・CDのレンタルは無かった。またカネの無い高校生だった私にとって1枚2200-2500円のLPを買うことも容易でなかった。
ジャズ喫茶でリクエストするという手もあった。しかし40分にも及ぶ長大な作品であるうえに、油井氏に「醜悪」と言われた問題作を、ジャズを聴き始めたばかりの小僧がリクエストするのには抵抗があった。
そうして逡巡しているうちに、インパルス時代のトレーンの書作が廉価で発売されることになり、思い切ってAscensionを買った。廉価版とはいえ(1800円くらいだったと思う)当時に私にとっては安くはなかった。
不安と期待の入り混じる中、レコードの針を落として聞き入った。LPの裏表を一気に聴いた記憶がある。その間、嫌悪感を感じることも、飽きるというようなことも全くなかった。確かにいわゆる「フリージャズ」であり、驚かされる作品ではあった。ジャズや音楽の理論を無視したような無秩序な作品にも聴こえ、油井氏の指摘にもうなずけるものがあった。
ただそれ以上に強く感じたのは、この音楽が持つ「充実感」だった。しかし、この「充実感」の重さは半端なものではなかった。そのため一聴した後、しばらくこのレコードをプレイヤー上に置こうという気にすらなれなかった。レコードに針を落とすことでさえも、かなりの「気合い」が必要だったのである。
「秩序だった」作品
そのAscensionを久しぶりに聴いてみた。一番感じるのはやはり充実感。それとともに、なぜこの作品がそれほどの問題作とされたのが不思議に思われた。もちろん醜悪とも感じない。
かつては無秩序と感じたものが、今はむしろ秩序だって聞こえるということ。これが現在の私にとって一番の発見であり、驚きだった。
Ascensionの構成を言えば、参加者全員が参加するパートがまずあり、その後、トレーンのソロが続く。そして再び全員参加となり、その後、次のホーン奏者がソロをとる。そしてまた全員参加。
つまり、各奏者のソロが、全員参加のセッションにサンドイッチされているわけだ。
今聴くと全員参加のパートにも統制が感じられる。また各自のソロパートにいたってはキーが決まっているようにさえ聞こえる。無秩序どころか、かなり秩序だった演奏に聞こえるのだ。
このAscensionに参加したアーチ―・シェップも「この音楽はコードに基づいていた。ジョンが用意してきた譜面にもコードや和音が書かれていた」「理論的に間違っていない全員共通の約束事にしたがって演奏は行われている」と指摘している(「ジャズジャイアンツ・インタビュー」小川隆夫より)。
おそらく現在の若いジャズファンがAscensionを今聞いても、昔の聴衆が感じたような驚きや戸惑いは感じないだろう。
私が初めてAscensionを聴いてからも既に40余年が経過している。その間にもジャズを含めた音楽シーンは大きく変化した。例えばトレーンの先輩のマイルス・デイビスも今はいない。マイケル・ジャクソンがメガヒットを突如として連発しだが、その彼も今はいない。
この40-50年の間に発表されたおびただしい数の音楽の洪水の前に、Ascensionも聴衆に、何の驚きく当たり前に受け入れられる作品の一つになってしまったということだろう。
同じことはフリージャズの創始者、ジャズの革命児と言われたオーネット・コールマンのデビュー時の作品についても言える。彼がデビューした1950年代後半には、彼の音楽は当時のミュージシャンや評論家の間で大変な議論となったという。
オーネット自身がファンに襲われて楽器を壊されるという事件すらあったというのだから穏やかでないし、それほどの衝撃を与えたということなのだろう。
しかし私が1970年代にオーネットの作品を聴いても、どこがそれほど革命的なのか、驚きなのか全く理解できなかった。ちょっと風変わりではあるが、正直に言って1950年代後半にセンセーションを巻き起こした「問題作」というような印象はなかった。
つまりオーネットがデビューして、私がジャズを聴くようになる10数年間の間に、ジャズを含む音楽が彼の音楽を完全に消化吸収してしまったということなのかもしれない。彼の作品を今聴いても同じ感想である。
こうしてみると、音楽を通じて驚きを感じるという経験は非常に貴重だと言わざるを得ない。Ascensionのような超問題作と言われた作品でさえ、月日の流れとともに「普通の作品」に風化してしまうのだから。
耳慣れない楽曲を醜悪と切り捨てたことも後々に残りますから音楽評論家さんは一言一言に覚悟が必要です。フィルモア・イーストのころのエレクトリック・マイルスも、がらくたのような、と表現されたと思います。天才の働きに世の中が追いつくには時間がかかるものですね。
同感です。私も人のことはあまり言えませんね。フィルモアのマイルスの凄さが分かるのに1年以上を要しました。