まずはケガの完治を

強くなる男の目とは

大相撲5月場所は久しぶりの白鵬の優勝で幕を閉じました。久しぶりの日本人横綱ということで注目された稀勢の里は、ケガをおして出場していましたが、残念ながら中途休場となりました。

稀勢の里は何度も綱取りに失敗、相当苦労して横綱となった人です。強い意志で糖尿病を克服して横綱になった親方(隆の里)の例があったからこそ頑張れたのかもしれません。ただ私は以前から「この人は必ず強くなる」という予感めいたものがありました。あまり相撲に詳しくない自分がどうしてそう思ったのか。それは稀勢の里の切れ長の目です。あの目をみて、必ず強くなる—と何となく確信していました。

では何故、切れ長の目だと強くなると思ったのか。その答えは自分でも長い間、分からなかったのですが、最近やっと分かりました。それは亡くなった北の湖理事長と同じ目だったんです。今ネットを見てみると、両者は似ているという指摘は結構多いんですね。


現役時代は無茶苦茶に強かった前理事長

負ければ大喜びされた北の湖

私が覚えている一番古い横綱は、眉毛の濃い、背の高い朝潮関でした。1960年代前半だったと思います。その後、大横綱となる大鵬がでて、最近の白鵬、稀勢の里まで連綿と続いています。そうした歴代の横綱の中にあって「めちゃくちゃに強い」と私が感じたのは北の湖でした。

優勝回数を見ると北の湖は24回で、白鵬の38回をトップとして、歴代5位にとどまっています。ただ記録とは別に、私の記憶の中では、北の湖が「一番強かった」という印象があります。

相撲協会では、横綱が2人揃うと柏鵬時代(柏戸と大鵬)とか北玉時代(北の富士と玉ノ海)とか名付けて相撲人気を煽ろうとする傾向があります。北の湖の時代も当初は「輪湖時代」(輪島と北の湖)と言われましたが、北の湖の急成長と共に先輩横綱の輪島は次第に勝てなくなりました。

白鵬が出てくる長い間、優勝回数一位だった大鵬は、相手の攻撃を一度がっしりと受け止め、その後に攻勢に転じるタイプだったと思います。今の白鵬がそれに近いですね。一方、北の湖のスタイルは、馬力にまかせて、立ち合い直後から相手を押しまくります。相手は何もできないうちに土俵を割っていることが多かったと記憶しています。最近では朝青龍がそれに近い印象です。

あまりにも強いので「憎くまれ相撲」とも言われました。今も横綱が敗れる番狂わせがあると、場内は大きくどよめきます。私の記憶では、歴代横綱の中にあって、北の湖ほど負けて大歓声が上がる、負けると喜ばれる横綱は他にいなかったと思います。特に先代の貴乃花(今の貴乃花親方の父上、大関)が北の湖に勝った時はすごかったですね。

引退後、北の湖関は理事長となりました。おそらく人としても立派だったのでしょう。無慈悲なまでに強かった相撲のスタイルとは裏腹に、意外に繊細な方だったと後に知り「悪いことをしたな」と思ったものです。横綱時代は、彼が負けると私も狂喜していましたので。

現役時代は、自分の負けを大衆が大喜びする姿をみて、北の湖も内心相当に傷ついたのではないでしょうか。しかし、後の横綱経験者とは違って、自棄になって大酒を呑んで不祥事を起こすというようなことは一切無かったのは立派でした。

ついに努力の花が咲く

稀勢の里の話がいつのまにか北の湖の話になってしまいました。目が似ているとはいえ、稀勢の里は、かつての北の湖よりもずっと人気がありますので、今後さらに鍛錬して元理事長のように「憎まれるくらい強く」なって欲しいと思います。

最後になりましたが、稀勢の里関は1986年7月3日生まれですので、九星気学では五黄土星という星になります。リーダーシップがありますが、独善的になりやすいという印象があります。フランスのマクロン新大統領、インドのモディ首相が同じ星です。

五黄土星にとって今年は「評価運」(努力の花が咲くが、後半が不安定な時)です。たしかに横綱となり、努力の花、それも大輪の花が咲きました。しかし今年後半は要注意です。また来年は「停滞運」(不測の事態が多く、ツイていない時)となり要警戒の年となります。それを過ぎれば、その後数年、上昇運に入ってきます。

何回も綱取りにチャレンジして失敗しても挫けなかった根性の人です。ツキの無い一年ほど期間をやり過ごすのは、彼にとってはそれほど困難ではないと思うのですが—。ただ相撲の場合は、ゴルフやプロレスほど選手寿命が長くないので、ケガに注意しつつ日々大切にして精進して欲しいと思います。ご健闘お祈りします。