本日は夏向きの話、しかもこれまで取り上げたことの無いジャンルの話です。以前のブログでも少し書きましたが、私は神、霊、あの世の存在を信じています(とはっきり言うと、引かれちゃいそうですが)。しかしながら霊感というものは全くなく、幽霊を見たこともありませんでした。8月13日、今年の迎え盆の日までは。

既に父母ともに他界していますが、これまで夏の先祖供養としては墓参りだけでした。今年はなぜか鹿児島にいた祖父母が「迎え盆」「送り盆」をしていたことを不意に思い出し、迎え盆の日に実家に行ってお供えして、ご先祖の霊を迎えました。

夜の10時半頃に久しぶりに軽くジョギングをしたくなり外にでました。とりあえずの行先は、死んだ母が好きだったレストランとしました。片道20分ほどです。無事にそのレストランに着き、すぐに反転して家に向かって走り始めました。

帰路、左手に宅配ビザの店があり、それを通り越したあたりで、不意に左手前方の道から、中高年のおじさんが出てきました。顔は良く見えませんでしたが、メガネをかけて、帽子をかぶり、夏向きのボタン付きシャツにスラックスという姿でした。その人は右手にピザ屋で受け取ったとみられる箱を持っていました。

こちらはジョギングの最中ですので、このおじさんを追い越して自分のペースで走り続けるつもりだったのですが、このおじさんが急に走り始めたのです。私が走る前をおじさんが走る恰好となりました。

そのおじさんはランニング用の装束でもありませんし、右手にピザをもっていたので、数十メートルほど走って、その後は歩き出す—と思っていました。ところが、意外に彼の走りは速く、私との距離は段々に開いていきました。よほど急いでいるのでしょうか。早く走れば、箱の中のピザもめちゃくちゃになってしまいそうですが。

そのおじさんは、私の帰路と同じ道をずっと走って行きました。街灯が少なくなり、道も暗くなって、いつしかおじさんの姿も見えなくなりました。その後、7-8分ほど走ると、T字路に近づいてきました。そこは街灯で道が明るく照らされていました。おじさんの姿も見えましたが、走りは既にやめて、歩き始めていていました。おじさんはそのT字路を右折しました。私にとっても右折が家への近道だったのですが、おじさんの後ろについていくことに何となく抵抗感があり、左折しました。

その後、4車線の車道と、両側に歩道のある大通りに出ました。50メートルほど前方に、おじさんが右側の歩道を歩いているのが見えました。彼は歩いており、私は遅いペースながらも走っているので、彼との距離は自然と縮まってきます。他に人の姿は見えませんでした。

おじさんの行く先に、信号着きの横断歩道がみえます。彼はその横断歩道を渡りたいらしく、少しずつ車道に寄りはじめました。そこに大きなケヤキの並木と信号柱があり、彼はその向こう側に入り、私からは姿が見えなくなりました。

何かおかしい—と気づいたのは次の瞬間です。既に歩行者向けの信号は青に変わっていたのですが、誰も渡っていません。私からは死角になっている並木と信号柱の後ろにとどまったまま、おじさんは携帯電話で通話でもしているのか—と私は思いました。

徐々におじさんが居る場所に近づいてきました。ついに並木と信号柱の所に来たのですが、そこには誰もいませんでした。おじさんは、かき消えてしまったのです。背筋に冷たいものが走りました。

まわりを見まわしましたが、全く人の気配はありませんでした。信号の後ろには会社の建物がありましたが、この夜遅くに当然門戸は締まって暗くなっていますし、人が出入りした気配もありません。自分の勘違い、見間違いか—とも思いましたが、友人から聞いたある話が急に思い出されました。

その友人は昔、富士山の5合目あたりで、まだ暗い時間に休みをとっていました。上から登山姿の人が降りてきてトイレに入ったのが見えたそうです。その後、彼がトイレに行ってみると、そこには誰もいなかったというのです。ゾッと寒くなったとのこと。勿論、トイレに別の出口はありませんし、トイレから人が出ていくのを見逃したということも絶対になかったということで、トイレに入ったのは幽霊だったのではないかと彼は言っていました。

私の体験も、この友人の話に似ており、私が見たおじさんは幽霊だったのではないかと合点した次第です。霊の話など時々読むことがありますが、盆の期間は「あの世とこの世の境があいまいになる」と聞いたことがあります。普段、霊感の全くない私ですが、お盆という特別な時期に、気づかない間に2つの世界が融合するミステリーゾーンに迷いこんでしまったのかもしれません。今思い返すと、普段着姿のおじさんがピザの箱を持って、早いペースでかなりの距離を走る—というのも異様ではあります。

もし私の見たおじさんが本当に幽霊だったならば、幽霊というものは見た目は全く普通の人と変わりありません。足もありましたし、姿もはっきりしており、朧げに見えるということもありませんでした。ということは、私たちは自分で気づかないだけで、普段から幽霊の姿を見ているのかもしれません。本日は気学でも、経済・市場動向でもない番外編となりましたが、ご容赦ください。