10月27日の衆議院総選挙で自民党と公明党による与党の石破政権の過半数割れが明らかになりました。
石破総理が非常の早い時期での解散総選挙に打って出たことも、彼の脳裏には色々と過去の先例が去来したことと思います。
その一つが2008年9月に誕生した麻生太郎政権の例でしょう。同年に起きたリーマンショックで悪化した景気の回復を優先したい―ということで、麻生氏は早期解散をしませんでした。
結果として、政権の努力にもかかわらず景気は回復せず、選挙で大敗、自民党は下野することになりました。「早期に選挙をしていれば、自民党は下野しなくてすんだのに」と今でも言われています。
またマスコミの調査で、選挙民が総理にしたい人のナンバー1に常に石破氏が挙がっていたことも影響しているでしょう。今の石破氏はマスコミにいたずらに踊らされた、騙された―と感じているかもしれません。
Research76では9月29日に「今年の運勢:自民党総裁に石破茂氏、やはり短命内閣か!?」と題したブログを挙げましたが、こうも早く明確な結果が出たのは意外でした。
以前のブログでも指摘しましたが、石破総理の七赤金星という星は今年は「評価運」(努力の花が咲くが、後半が不安定な時期)となっています。
石破氏にとっては長年の努力が報われて総理になれたわけですが「年後半は不安定」になったということでしょう。
年後半が不安定-というのは他の七赤金星の政治家にも当てはまります。現在の菅義偉元総理には往年の気迫が全く見られなくなってしまいました(パーキンソン病などとも言われていますが、どうでしょうか)。
二階俊博氏も、今回の選挙で後継者とした三男の落選が決定し、和歌山県での二階王国は崩壊しつつあります。
また石破総理が失脚した場合、岸田文雄前総理が再登板を果たすという話も巷では聞かれますが、仮にそれが実現しとしても、やはり短命政権に終わりそうです。過去のブログでも指摘しましたが、岸田氏も七赤金星です。来年の七赤金星は「停滞運」(不測の事態が多く、ツイていない時期)に入ります。この年は九星気学の9年周期で最も衰運の時期にあたります。
石破総理が大敗の責任をとって辞任すれば、戦後すぐに発足した東久邇宮内閣(在任期間54日)の記録を破る最短命内閣となります。最近の短命内閣としては1989年の宇野宗佑内閣(69日)、1994年の羽田孜内閣(64日)があります。
ところで自民党の小泉進次郎氏が今回の大敗について、自分に責任がある―と早々に表明したのには鋭い政治的センスを感じます。長期政権を誇った父上の純一郎氏のアドバイスもあったのかもしれません。
ここで思い出されるのが1989年の参議院選挙で大敗したときの自民党の橋本龍太郎氏の動きです。女性スキャンダルで選挙応援に回れなかった当時の宇野総理に代わって選挙責任者として粉骨砕身、東奔西走したことで国民に知られるようになり、後に党総裁・総理となる道が開かれたのでした。
小泉氏とは対照的に、石破総理は、これほどの大敗にも関わらず総理・総裁の座に連綿としているようです。ここで思い出されるのが大平正芳総理です(上の写真)。
大平氏は大蔵官僚出身ということで庶民が欠けていると言われていましたが、1979年10月の総選挙では増税を掲げて戦いました。当然、自民党は負けたわけですが、田中角栄元総理の強いバックアップもあり引責辞任せず、総理の座に留まり続けようとしました。
その結果起きたのが歴史に名高い「40日抗争」です。その後の首班指名選挙では大平氏が勝ちましたが、党内のゴタゴタは収まらず、翌年には大平内閣への不信任案が可決され、80年5月には再び解散総選挙となりました。
石破総理が徒に総理の座に執着するならば、大平元総理と同じような運命をたどる可能性があります。次の総選挙は意外に早く来るのではないでしょうか。
ところで80年5月の総選挙の結果ですが、大平総理が過労で選挙期間中に落命。その結果、自民党内に「弔い合戦」の機運が高まり、また国民の同情票も集まり自民党が大勝しました。
大平元総理は自らの命と引き換えに自民党に勝利を呼び込んだのでした。
七赤金星の人とは:1921年、1930年、1939年、1948年、1957年、1966年、1975年、1984年、1993年、2002年、2011年の各年の立春以後、翌年の節分までに生まれた人。
九星気学について