自民党総裁選挙は下馬評の通りに菅義偉官房長官が制しました。数日中に首班指名選挙で総理大臣に選出される見通しです。
マスコミが持ち上げ続けた石破茂氏は獲得票数で68票にとどまり、岸田文雄氏にも及ばず最下位となりました。
さらに国会議員票を除いた地方票でも、菅氏の半分にも及びませんでした。「国民に人気がある」とのマスコミの前評判が高かっただけに、この結果は石破氏にとっては、かなりショックだったのではないでしょうか。
過去4回総裁選挙に挑戦して、すべて敗北、しかも今回は最下位。自民党総裁候補としては「もう終わり」との声も聞かれます。こうした石破氏に起死回生の策はあるのでしょうか?
私は経済記者として外資系通信社で長く勤務してきましたが、必ずしも経済ネタだけに特化せず、政治関係もカバーしたきました。
そのため、平成の30年間には色々な政変劇を目撃してきました。例えば、1993年の非自民の細川政権誕生、05年の小泉純一郎総理による郵政解散、09年の民主党政権の誕生など。
その中でとりわけ印象深いのが1994年の自民党と社会党の連立です(もう四半世紀も前になるんですね)。
自民党は総理大臣を選ぶ首班指名選挙に際して、党内からではなく、社会党のトップだった村山富市氏を候補に担ぎ出しました。
55年体制ではお互いに仇敵だった両党が手を組んだことに驚きました。社会党は当時も、特に自衛隊を含めた安全保障問題では、自民と相容れないものがありましたので。
自民党が敢えて仇敵との連立を成立させたあたりに、当時、非自民連立内閣(羽田孜総理)を率いていた小沢一郎氏に対する憎しみの深さが察せられます。
しかし私がさらに驚いたのは、羽田内閣の主導役だった小沢一郎氏の行動です。
当時の羽田内閣は、社会党が8党派からなる連立を離れたことから、少数与党に転落。そこで、自民党主導で内閣不信任案が提出されることになりました。
こうした場合、小沢・羽田両氏が取りうる対抗策としては衆議院の解散・総選挙か、内閣総辞職が考えられます。
普通に考えれば、当然、解散・総選挙になるところですが、小沢・羽田両氏は意外にも総辞職を選択したのです。
次の小沢氏の一手で私の驚きピークに達しました。小沢氏はなんと自民党内に手を突っ込んで、元総理の海部俊樹氏を首班指名選挙の候補として担ぎだしたのです。このあたりは小沢氏の面目躍如たるものがあります。
自民党は仇敵のトップを候補に担ぐ、片や小沢氏は自民党内にいた元総理を担ぐ。投票する側の議員の先生たちも相当に狼狽、混乱したのではないでしょうか。
首班指名選挙の結果、村山氏が総理大臣に選出されましたが、海部氏とはなんと21票という僅差でした。
この政変劇を思いだすと、小沢氏が野党勢力を結集して、また「自民党内に手を突っ込んで、今度は石破氏を-」などと、あらぬことを考えてしまいます。
実際、両者には縁があります。小沢氏が1990年代前半に自民党を離れて新生党を結党したときに、石破氏も自民党を離れてそれに参加しています。
こうした過去の政変劇、そして両氏の因縁を考えると、まだ石破氏には再起のチャンスがあるのではないかと夢想したりします。
ただ、あくまでも個人的な夢想です。今の小沢氏にそうした信頼感やパワーがあるのか疑問ですし、野党勢力と石破派議員を足して、どの程度の勢力になるのか―という具体的な数合わせも考えてはいません。
しかし「野党で勝負したらいいじゃないですか」(橋下徹元大阪府知事)などの声があるのも事実です。実際、野党の幹部からは「石破さんとならやっていける」との発言も多く聞かれます。
石破氏はどこに行くのか。今後の動向を注視したいと思います。