橋本暴落の二の舞も

本日の日経新聞朝刊で「中国、米国債購入減に含み」という記事が目を引きました。驚いた方も多かったでしょう。

米国は中国製品1300品目に25%の関税を掛けるなどの措置を決めました。その後、崔天凱駐米大使は23日に、米国債購入を減らす可能性を聞かれ「あらゆる選択肢を検討している」と述べ、購入減を否定しませんでした。

このニュースで、週明けの市場は、米国債の暴落など波乱の幕開けが予想されます。実際に中国が購入減に踏み切るか否かは問題ではなく、そうした可能性が浮上してきたことが問題なのです。

実は以前も似たことがありました。今から20年ほど前、1997年6月に当時の橋本龍太郎総理は米国での講演で「米国債を売ろうという誘惑に駆られたことがある」と発言。それが引き金となり、米国債が売られ金利が上昇、米国株価も暴落しました(2016年10月のブログ「橋本龍太郎は嫌なヤツ」をご覧ください)。

当時日本は米国債の最大の保有国でした。その日本の総理の発言ということで、市場は大きく反応しました。橋本総理は、この発言の直後に売却の可能性を否定しましたが、当時のマスコミは前半部分だけを大きく取り上げたようです。

現在は中国が米国債の最大の保有者ということですので、崔大使の発言は軽視できません。しかし橋本発言から既に20年の歳月が流れ、世界も当時とは大きく変わっています。週明の市場が20年前の再現となるのか、それとも崔大使発言はスルーされてしまうのか―注目されます。

その後、日本経済は「暗黒の時代」に

ところで、その橋本発言後の日本経済はどうなったのでしょうか。一言で言えば「暗黒の時代」に突入します。97年は4月の消費税率引き上げ、アジア通貨危機、そして山一證券など大手金融機関の破綻などで、日本経済は大きな打撃を受けます。

実質GDPは1998年、1999年と二年連続のマイナス成長を記録。マイナス成長は1974年の第一次オイルショック以来でした。

市場動向を見てみると(下のグラフ)98年は為替がなんと1ドル=140円以上のドル高・円安となり、それに呼応するように株価は低下を続けました。

日本の場合、一般的には、円安は株価上昇につながります。しかしこの時は、日本経済の先行き不透明感から株が売られ、そのカネが海外に流出します。いわゆる「日本売り」の表面化です。

日本経済の未曾有の危機もあり、98年夏の参議院選挙では自民党が大敗。橋本総理は退陣しました。現在も消費税率引き上げの是非、米国利上げによる発展途上国通貨の暴落懸念、金融機関の業績不振―など20年前と似かよった構図になっています。

米中の経済対立が、こうした危機の前触れとなるのか。市場から目が離せません。