慌てずに一歩一歩

プロ初年の成績、王・松井を上回る

高校野球そしてプロ野球のスーパースターである清原和博氏がスポーツ雑誌「ナンバー」のインタビューに答えました。昨年2月に覚せい剤取締法違反で逮捕され世間を驚かせましたが、インタビューに答えたということは、一時のショックから徐々に立ち直り、落ち着きつつということなのでしょう。

私が初めて清原選手をみたのは1986年、西武球場でのことでした。その年に高校を卒業してプロ入りしたばかりでしたが、既にクリーンナップを打っており、新人とは到底思えない堂々たる態度が印象的でした。

プロ初年の成績は以下の通りで、有り余る才能を見せつけました。驚くべきなのは、高校卒ながら、大卒の長嶋茂雄氏の初年とほぼ同等の成績を残したことです。同じ高校卒で比較すれば、世界のホームラン王の王貞治氏、メジャーリーグでも活躍した松井秀喜氏を大きく上回っています。

私はON(王・長嶋)全盛期からプロ野球を見ていたのですが、ONが去った後、この2人に匹敵するようなスーパースターは決して出ないだろうと強く確信していました。しかし清原氏の初年の成績は、そうした私の確信を揺るがすものでした。「ひょっとしたらONを超えるかも—」数字上の成績だけでなく、チャンスにも強く、スターの素質十分、強運だった長嶋氏を彷彿とさせるものがありました。

天の与うるを取らざれば—

彼がデビューした86年は、日本経済にとってバブル景気の始まりの年、そして引退した2008年はリーマンショックが起きた年でした。日本経済は「まだまだ良くなる」という「楽観」が許された時代にデビューし、少子高齢化もあり「もう高成長は見込めない」という「諦観」が支配的になった時に引退する—。何やら象徴的です。

20余年の選手生活を振り返ると、大変な大選手であり、それなりの記録を残してはいます。しかし「一抹の物足りなさ」を感じるのは私だけではないでしょう。

結果論となりますが、清原氏はONを超えることはできませんでした。彼の初年の成績を鑑みれば、もっと伸びられたのではないかとも思います。才能だけをみれば、メジャーリーグに進出したイチロー氏や松井氏をも上回っていたのではないでしょうか。

プロ入りする野球選手というものは、誰しも生まれながらの卓越した才能に恵まれ、その上で、プロ入りしてからの各人の努力・精進・工夫で、才能にプラスアルファを加えます。王氏はそのプラスアルファを大きく伸ばしましたが、清原氏の場合、そうではなかったようです。

ではなぜ、そのプラスアルファを大きく開花できなかったのか。私の偏見かもしれませんが、彼の才能に比べて、日本の球界が小さ過ぎたのではないか—と感じます。ほぼ同年代の野茂英雄氏や、大魔神・佐々木主浩氏がそうしたように、一段上のメジャーに挑戦すべきではなかったか。しかし清原氏はそうしませんでした。

高い目標を設定しなければ、気も緩みがちになります。日本でそこそこの成績が残せればいい—と考えてしまったのかもしれません。彼の才能からすれば、ホームラン王などの個人タイトルは、いつでも取れるように見えました。しかし実際にはタイトルには無縁で終わりましたし、初年の成績を上回ることも稀でした。その後ケガも多くなって引退、そして覚せい剤で転落—。

「天の与うるを取らざれば、かえってその咎を受く」という中国の言葉が思い出されます。天がチャンスを与えた場合、それを生かさなければ、かえって罰を受けるというような意味です。天の与えた極めて稀な才能があったのですから、貪欲にタイトルに挑戦、そしてさらに上の段階に挑戦すべきだったのではないかと思うのです。

薬物に手を出したことについて清原氏は、離婚後の寂しさ、野球を辞めた後の虚脱感、ケガの後遺症で子供と遊べず時間をもて余すようになったこと等を挙げています。

まわりに多くいた知人や取巻きの人たちも、逮捕されたとたんに潮が引くように、いなくなったことでしょう。彼の「野球人生で一回も代打を出されたことがない」との言葉でも分かるように、絶えず日の当たるところを歩いてきた人だけに、人生の有為転変、無常観も人一倍厳しく感じたことと思います。 

遅咲きの星、再び開花も

清原氏は1967年8月18日生まれですので九星気学では六白金星という星になります。今年は「停滞運」で人生の9年周期で最も衰運の年になります。今年のうちでも特に9月は要注意です。月ベースでも「停滞運」に入るためです。神宮館暦でも「ささいなミスも致命的になりかねない油断大敵の停滞運」とあります。薬物の誘惑も強まるかもしれませんが、是非打ち克ってほしいと思います。

ツキの無い時期もずっと続くわけではありません。来年節分からは「停滞運」を脱し「整備運」に入り、徐々に運気が安定してきます。幸いにも情状証人にもなってくれた親友の大魔神も彼を見捨ててはいません。また六白金星という星は遅咲きの星なので、50歳台からでも花が咲きます。

彼自身もインタビューで「もう昔のような1段飛ばし、2段飛ばしのような人生は歩めないと思う」「慌てずに一歩一歩、一日一日、その日を生きていくことを考えてやっていくしかない」と述べています。過去の栄光にすがろうとする姿は見られません。

現在は週一回薬物の病院に通院しているとのこと。大きく傷ついた社会的信用を取り戻す道のりは厳しく険しいものかもしれませんが、足を地にしっかりつけて次の開花を目指して再挑戦して頂きたいを思います。