突然のリストラも
最近、何十年も開かれなかった同窓会・クラス会が突如として開催され、お呼びが掛かったりすることが増えてきました。実際に参加してみると、かつての高校や大学の同僚が結構有名な企業で重役になっているのを知って驚くことも一度や二度ではありません。今の自分の境遇と照らし合わせて「もし自分も、ずっと同じ企業に留まっていたら、彼等みたいに出世したのだろうか?」などと、無益な「たられば論」に迷い込むこともあります。
私は最初、日系の石油会社に入りましたが、そこを辞めて以後はずっと外資系企業(主に経済通信社)に勤務してきました。昔と違って、今は日系と外資系の間の壁もかつてより低くなっていると感じますが、外資系企業の勤務の一端をご紹介します。
外資系企業での勤務でよく聴かれるのが雇用に対する不安定感です。確かに日系企業の場合に比べると、能力とは無関係に、会社の都合如何で、簡単にリストラされてしまうことがあります。日本企業の場合、配置転換という形で残れる可能性も多いでしょうが、外資系、特に私が勤務した通信社記者という職種では、所属している部署が無くなれば、配置転換の余地は限られ、リストラされてしまうことが多かったです。
ただ外資系でも「xxxジャパン」というように「ジャパン」が企業名に付くような会社は、かなり日本化している企業もあります。そうした企業では、配置転換など考慮してくれるところもありました。ただ私が渡り歩いてきた企業はいわゆる「中小企業」が多かったので、日本流でなく、米国流のやり方が普通で「青天の霹靂」という感じで突如としてリストラということもありました。
所属している部署が無くなる場合に加え、社員が会社の要求水準に応えられない場合もリストラの対象になります。隣に座っていた人を数日見ないので「休暇を取っているのかな」と思っていたら、実はリストラされていたという話もありました。またリストラされても、名目上は自発的離職とされる場合もありました。これは辞めていく社員の履歴に傷がつかないようにとの配慮もあったのでしょう。
こんな状態なら日系企業の方が良い—と思う人も多いことでしょう。なぜ外資系に留まるのか?という疑問も聞こえてきそうです。一つには中途入社が日本企業よりもしやすいという点があります。色んな会社を渡り歩いてきた、自分と似たような境遇の人が多いので、その点も気楽です。もうひとつは、入社時に、サラリーの交渉が日本企業よりもしやすいということがあります。日本企業では「この年齢で、この年数働いた人は、この給料」と決まっている場合が多いのですが、外資系は自分のキャリアをアピールすることで交渉の余地がある(特に入社時は)と感じます。ただし日本企業と違って、入社時の給料から何年たっても上がらないケースもあります。
いつも戦時体制
いずれにせよ、突如としてリストラされることがあるので、心の準備を常にしておく必要があります。最も重要なのは、リストラされても、他の会社で採用してもらえるような高いスキルを維持しておくことでしょう。私の場合は、経済の知識に加えて英語のWriting力も重要でした。
また再就職の時に有利なように、自分ができる仕事の範囲をなるべく広げるように努力していました。記事を書ける分野が広い方が再就職に有利だと考えたからです。エクセルでグラフを作るスキル、回帰分析で将来の統計数字を予想するスキルなどは、記者として必要だったわけではありませんが、独立したら役立つと思い、自分なりに勉強していました。実際に今、それが役立っています。
自分のスキルの改善も自分でやるのが普通です。日本企業の場合は、先輩が同じ部署の後輩にスキルを伝授するということが一般的なようですが、外資では(特に中小企業では)「自分の獲得したスキルは後輩と言えども絶対に他人に教えない—」という人もいました。というわけで、スキル改善は他人に頼らずに、自分で自発的にやる必要があります。
年下上司に戸惑い
外資系だけで、これまでに8社程勤務しました。なぜそんなに多くの会社に勤めることになったのか? 内訳を言えば、1回は自発的辞職ですが、リストラが2回、その他は、自分の勤める会社が他の会社に買収されるというケースでした。
買収の結果として会社の名前もオフィスも上司も変わります。記者といえども、守備範囲が微妙に変わることもありました。またリストラも有って、残念なことですが、かつての同僚との別れもありました。つまり買収の度に、まわりの人間関係も大きく変化してきます。
外資系でも人間関係は結構苦労します。いつも買収される側でしたので、買収後の立場は強くありませんでした。そのため、買収後の上司が自分より年下とかいうこともよくありました。年齢差でいうと、自分より9歳下の人が上司だったこともあります。この方は若かったですが中々立派な人だったので、あまり仕事上の苦労はありませんでしたが。
日本企業では目下の人には「xxくん」、目上には「xxさん」と区別して呼ぶことが少なくないようです。しかし私は、会社内の人はすべて「xxさん」と呼ぶことに決めていました。年が自分よりも若く、目下に見える人でも、会社での肩書は自分より上ということがよくあったからです。見た目で上下が分かりにくいのです。
上司が年下というのは、確かにやりにくいものです。しかし、その上司にしてみれば、年上の部下というものはそれ以上に付き合いづらいもののようです。自分より経験が浅い年下の上司の場合、つい馴れ馴れしく「xxxさん、そんなんじゃ駄目だよ」などと、ためぐちで説教したい誘惑にかられることもあります。しかし、そこはグッとこらえました。年下の上司に「あの人は使いづらい」という認識を持たれてしまうと、実際にリストラされる可能性があるからです。
それで思い出すのが、米フォードの傘下に入っていた頃(1996年-2015年)のマツダの記者会見です。決算発表の会見場にいくと、マツダからの出席者は3人。30歳台から40歳台前半とみられる若々しい米国人重役、通訳の若い女性、そして日本人重役と思われる50歳台の男性の3人です。記者の質問には専ら米国人重役が答えて、それを女性が通訳していました。一方、50歳台とみられる日本人重役の出る幕は全く無く、通訳の女性にも軽んじられているように見えて、何とも気の毒に思ったものです。
必要な割り切り
また勤務外での呑み会などの付き合いですが、根っからの外資系企業では、そう多くはありませんでした。一方「xxxジャパン」というような半分日系・半分外資のような企業では、頻繁に社員同士の呑み会があったと記憶しています。私自身は酒があまり呑めず、また他にやりたいことがあったので、呑み会はあまり参加しませんでした。もしかしたら、それが外資系での私のキャリアにとってマイナスだったかもしれませんが「マイナスならマイナスでも良い」と割り切っていました。このあたりは各自で線引きしないと「いつも会社の同僚と一緒」という状態になってしまいます。もっとも外資系企業の場合、日系企業よりもプライベートを大切にする人が多かったので、断りやすかったことも事実です。
英語は必須ではない
これまで英語、日本語の両方で記事を書いてきましたが、外資系企業で英語が必須かというと必ずしもそうではありません。比較的大きな会社で勤務していた時には、日本語で記事を書いていたのですが、その時の同僚記者は、ほとんど英語を書くことも、話すこともできない人が少なくありませんでした。日本語チームの記者としては英語は必須ではありませんが、ある程度上に行くと、英語チームとの記事のすり合わせも必要になります。その時はある程度の英語力は必要でしょう。英語が苦手だから外資系では働けないというわけでもありません。
鍛えられた環境適応能力
こうして外資系を中心に多くの会社をわたり歩いてきたので、一つのところでじっくり出世を目指すという生き方とは無縁でした。ただ、良かったと思うのは環境適応力が鍛えられたということでしょう。新たな環境に入れば、誰でも「一年生」です。環境が変われば戸惑うことも多く、仕事の能率も一時的には低下します。しかし、こうした環境変化も頻繁になれば、段々と順応するコツがわかってきます。
私は元々環境適応力が乏しく、親の仕事の都合で小学校の時に一度転校したのですが、新しい学校になじめず、元の学校に戻ったことがありました。しかし社会人になってからの転変極まる環境の中で、その点は改善されたようです。
これから益々長寿の時代、長く務めた会社を辞した後も、何度かの環境変化は誰もが経験することでしょう。そうした時代、新たな環境にスムースに適応できる能力も、いずれは強みとなってくるかもしれません。