※小沢一郎氏

抜群の政治センス、若くして頭角

—小沢一郎氏という政治家がいます。この度、所属の党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」から「自由党」に変更するということですが、政界からも、また有権者からも、ほとんど注目も期待も得られていないようです。

—小沢氏の政治家履歴は長く、若くして頭角を現しましています。竹下登元総理などのバックアップがあったとはいえ、1989年に47歳の若さで自民党幹事長に就任(現自民党幹事長の二階俊博氏は77歳)しています。この出世スピード、彼の師である田中角栄元総理を彷彿とさせます。

—特に思い出されるのは、小沢氏が、海部俊樹総理の後継者を選ぶときに行った「面接」です。数人の候補者の面接の後、小沢氏は宮澤喜一氏を後継総理に選びました。自分よりも20歳以上も年上で、しかも1951年の「サンフランシスコ講和会議」にも参加したという伝説上の人物に上から目線で「面接」を行ったわけです。当時の小沢氏の勢いを物語るエピソードです。

—しかし、これほどの人物がなぜ、その後、大した実績も残さず、政界に長くとどまっているだけ—という状態になってしまったのでしょうか。

政治家には必須の「志」「テーマ」

—小沢氏が師である角栄氏や竹下登元総理から学んだ最も大きなレガシーは、衆の数を頼んだ政界収攬術でしょう。自分の党、もしくは派閥の人数をなるべく多くして、その数の力をもって、総理になりたいという人物をバックアップ。自分は裏でそれを操作するという手法です。角栄氏は、みずからが総理の座を降りて以後は、この手法で大平正芳内閣、鈴木善幸内閣、中曽根康弘内閣を支え「闇将軍」と呼ばれました。

—小沢氏はこの手法をうまく活用する政治センスがあったのでしょう。これまで小沢氏が動くたびに、政界全体が鳴動したという事実が、彼の政治センスの鋭さを物語っています。

—「衆を集めて数の力にものを言わせる」という手法には長けていましたが、残念なことには「その数の力で何をしたいのか」が決定的に欠けていたように見えます。

—政治家というものは自分が総理になったら何をしたいのかという「志」「テーマ」を持っているものです。小沢氏の師だった角栄氏ならば「日本列島改造による地方活性化」、竹下氏は「消費税導入」でした。また最近の長期政権だった小泉純一郎氏であれば「郵政民営化」ですし、今の安倍晋三総理にとっては「経済再活性化」と「憲法改正」がテーマでしょう。

—しかし小沢氏の経歴をみても「いったい何をしたいのか?」という志、テーマが見えてきません。

「壊し屋」「悪役」のイメージが定着

—小沢氏は「壊し屋」との異名もあります。党や派閥を作っては壊すことを繰り返してきたからでしょう。小沢氏自身は一人だけでも選挙に勝てるという自信があるでしょうが、小沢氏を頼んで党派に参加した人たちは、彼が党派を壊すたびに捨てられてきたのではないでしょうか。確かに、実力ある政治家には犠牲もつきものですが、小沢氏の場合、あまりに頻繁だっただけに「一緒に組んでも利用されるだけ」というイメージを政界全体に与えてしまった感があります。

—「悪役」のイメージも気になります。渡辺喜美参議院議員の父で、かつては竹下氏や安倍晋太郎氏(安倍総理の父)と並んで「将来の総理候補」と呼ばれた渡辺美智雄氏という人がいました。小沢氏は、渡辺氏を首相にしてやるということで自民党を離党させようとしました。結局、この策はうまくいかず、渡辺氏は自民党内で信用を失い、総理の座に就くことなくこの世を去りました。

—また2000年春に、時の小渕恵三総理と連立与党だった自由党の小沢氏との間で、連立政権存続に絡む議論がありました。その直後、小渕総理は急死。連日の激務に加えて、連立解消議論がストレスとなったとの見方もあります。

—こうして見てみると、抜群の政治センスを持ちながら権力を弄び過ぎて、時間だけが経過、信用を失ったということでしょうか。

注目を集める小沢人脈

—今や小沢氏も74歳、「若手」と言えない年齢です。彼のライバルだった橋本龍太郎氏、小渕恵三氏、羽田孜氏はとっくの昔に総理になり、他界もしくは引退しています。かつて「小沢の腰ぎんちゃく」と揶揄された二階氏は自民党の幹事長として政界権力の最高峰にありますし、以前の配下だった小池百合子氏は東京都知事として、現在最も世間の注目を集めています。

—さらに小沢氏の師だった角栄氏も、その死後20余年を経て「決断力と行動力に溢れ、しかも先を見通せる人情味ある政治家」として再評価されていますし竹下氏も孫が芸能界で大活躍です。

—こうした小沢氏有縁の人の現在と比べて、今の小沢氏の境遇は寂しすぎる気がします。ただ、これは彼だけの特殊な事柄ではないでしょう。私どもの周りでも、会社のホープとして期待されながら、社内の権力闘争に明け暮れて、自分が本当にすべきことも見つからないうちに、何の実績もなく定年を迎える—という話を結構聞きます。小沢氏のたどってきた道は、私どもへの強烈な警鐘でもあります。

—小沢一郎、1942年生まれの四緑木製。木星と言えば典型的な早咲きの星です。しかし、これまでも政界を何度も鳴動させてきた人物です。党名変更を機に、政治家として、また政界の生き証人として最後の花道を飾ることができるのか–見守っていきたいと思います。

本日もお付き合い、有難うございます。