2カ月の短命内閣

—先日、森喜朗元通産大臣とのエピソードを書いた。経済記者として遭遇した中で、どうしても忘れられない人物がいるが、羽田孜元首相もその一人である。同氏の一般にはあまり知られていない経済的功績について書いてみたい

—羽田内閣は、長期の自民党政権を倒して発足した細川内閣の後を継ぐ内閣として、1994年4月に自民党を除く党派の連合により発足した。しかし社会党が抜け、数の上では少数与党となった。

—その後、自民党などから提出された内閣不信任案の可決が避けられないとみた羽田政権は、解散か内閣総辞職かの選択を迫られる。一般的には解散を選択しそうだが、羽田氏と僚友の小沢一郎氏は総辞職を選択(正直、驚いた)。その後の首班指名選挙で、小沢氏は、なんと当時自民党に所属していた海部俊樹元総理を擁立。しかし、社会党の村山富市氏を擁立した自民・社会・さきがけ連合の前に敗れた。

—総辞職選択、さらに海部擁立−と小沢氏らしい奇策だった。一方、羽田氏にしてみれば、短い期間に担がれたり、降ろされたり—小沢氏の策に翻弄された格好となった。予想外の顔ぶれによる首班指名選挙が衆目を集めるなか、人知れず表舞台から退場していった羽田氏を気の毒に思ったのは私だけではあるまい。

—羽田氏にしてみれば、やりたい放題をして失敗した小沢氏を恨みたくもなったであろう。後年、羽田氏が国会内で投票する姿がテレビで映し出された。病気で足元のおぼつかない羽田氏の横で、小沢氏が心配そうに寄り添っている姿が印象的だった。生き馬の目を抜く政界で数少ない心温まるシーンだった。

 こそあど言葉とクールビズ

—羽田氏の会見、懇談にも何度か出席したが、ざっくばらんで親分肌の人物と見た。ただ発言は分かりにくかった。「あの問題はさあ、あの人がこういう形で入ってきて、結局こんな形になっちゃったんだよね」−という感じだ。「この、あの、その、どの」という所謂「こそあど言葉」が多く、内容を正確に把握するのは困難を極めた。

 —ここ数年はクールビズということで夏は軽装が許されるようになった。その先駆けは70年代後半の第二次オイルショック後のクールビズである。節電のため、夜中12時以後のテレビ放送が自粛されたのもこの頃だ。そうした中、半袖スーツを含むクールビズが導入され、当時の大平総理がそれを着た姿がテレビで紹介された。政府としても応援していくつもりだったのだろう。

—だが、これは全く普及しなかった。クールビズと言いながら、全くクールではない(クールにはカッコいいという意味もある)。さらに「(自民党長老が着たことで)老人向けファッションと見られたのが痛かった」との百貨店担当者のコメントも聞かれた。

 —ただ羽田氏は、その後も夏になると、このクールでないクールビズを一徹に着用し続けた(上の写真)。羽田氏のこうした地道な努力も今のクールビズ導入に貢献したとみていいだろう。

 貿易統計を円表示のみに統一

—羽田氏は総理としての短い在任期間中に、国民の意見を直接聞くべく、徳川吉宗さながらに目安箱を設置した。この目安箱を通して、一般にはほとんど知られていないが、日本経済にとって大きな功績を残しているのだ。

 —当時、大蔵省(今の財務省)は貿易統計を円ベースとドルベースの両方で発表していた。そして大マスコミは円ベースでなく、ドルベースでの数字を報道するのが常だった。

 —当時も円高は為政者の頭痛のタネだった(図1)。円高は長期的には輸出・貿易黒字を減少させる。しかし実際には、円ベースの輸出は比較的すみやかに減少するが、ドルベースでの輸出は長期契約の存在もあり、なかなか減少しない。

 

—そうするとどうなるか。円高が進んでも、ドルベースでの輸出・黒字はあまり減少せず、それに市場が過剰反応して、円高がさらに進む—という悪循環が生じてきたのである。

—現在の円高は、ほとんどが海外要因で引き起こされている。しかし当時、報道発表という国内要因で円高が引き起こされて輸出企業の収益が下押しされ、景気が悪化する—という事態があったのだ。日本経済にとっては見過ごせないと思った。尚、米国など先進国で、自国以外の通貨で貿易統計を発表していたのは日本だけだった。

 —そこで私は目安箱に提案を送付した。「貿易統計は今後、円ベースだけを公表し、ドルベースの公表はやめて欲しい」という内容、ドルベース報道の有害さも説明した。とは言ったものの、あまり多くを期待していたわけではなかった。直接、目に見える形で国民に利益が及ぶ問題ではないので「些細な問題」として無視される可能性も十分にあったのだ。

—しかし、ほどなく貿易統計は円ベースのみの発表となった。おそらく、民間エコノミスト、市場関係者からも同じ要望が多くあったのだろう。その時は羽田総理とそのスタッフの眼力に敬服したものだ。取りあえず、日本経済にとってのマイナス要因が一つ取り除かれたのだから。

—羽田氏は病気もあり2012年に政界を引退した。総理を辞した後は目立った活躍は見られなかったが「あなたの隠れた功績は忘れませんよ」と一言加えたいと思う。

本日もお付き合い、有難うございます。