
高市早苗総理の突然の衆議院解散宣言にも驚かされましたが、それ以上に世間を驚かせたのが立憲民主党と公明党が合体して中道改革連合という新党を立ち上げたことでしょう。
基本政策の擦り合わせも十分に行われないうちの突然の発表です。どうした政治的背景があったのでしょうか。あるいは「高市総理に一泡吹かせたい」という人間的な感情がなせる業だったのでしょうか。
1月後半に衆議院解散、2月中に総選挙という段取りのようですが、政界の混乱はこれだけにとどまらず、もう一波乱あるのではないかと感じています。
注目されるのは立憲民主党の小沢一郎氏の動向です。小沢氏については「既に終わった人」との見方もあるかもしれませんが、政局が方向感を失って先が全く見えない現在の状況、これは小沢氏の大好物ではないでしょうか。かつて似たような状況で、小沢氏の“奇策”は大いに注目されたものです。
1994年4月、当時連立与党の新生党にいた小沢氏が作った細川護熙内閣が瓦解しました。その後、小沢氏は当時自民党の重鎮だった渡辺美智雄氏に、自民党離党を条件に総理大臣就任を打診しました。
自分の連立与党仲間ではなく、政敵である自民党から総理候補を選ぶという奇策に世間は驚かされたものです。
しかし渡辺氏はついに離党を決断できず、小沢氏の策は不発に終わりました。いつかは総理大臣になる人-と当時目されていた渡辺氏は党内外で信頼を失い、総理の座に座ることなく翌年失意のうちに亡くなりました。
小沢氏はその後、同じ新生党内の羽田孜氏を総理としますが、日本社会党の連立離脱で少数与党となったため、この内閣も60日程度の短命に終わります。
その後、自民党は連立与党を抜けた日本社会党の村山富市氏を総理にするという条件で社会党と“新党さきがけ”との連立を模索します。
自民党がかつての政敵だった社会党の党首を総理として担ぐというのも奇策でしたが、それを上回る奇策を小沢氏は打ってきました。
小沢氏は渡辺氏の先例に懲りず再び自民党内に手を入れました。なんと同党の重鎮でもある海部俊樹元総理(1989-1991元年)を総理候補に担ぎあげたのです。
首班指名選挙では結局、村山氏が勝利して自社さ連立内閣が成立。小沢氏の策は敗れ下野に追い込まれました。
今回の政局大混乱を受けて、小沢氏が久しぶりに奇策に打って出る可能性は否定できないと考えます。考えられるのは、やはり与党の自民党内に手を突っ込む策です。
現在、自民党は保守色の強い高市氏が総裁となっていますが、不遇をかこつリベラル色の強い議員が少なからず存在します。
その代表例が前総理大臣の石破茂氏です。現在も自民党内にあって高市氏を時々「後ろから撃って」いますが、彼の主張するリベラル色の強い政策は、高市自民よりも立憲・公明のそれに近いようにも見えます。また石破氏はかつて自民党を飛び出した“実績”もあります。
石破氏以外でも、高市政権内で居場所の無い岩屋毅前外務大臣、21年の自民党総裁選挙で2位となるも、その後人気が低下した河野太郎氏なども小沢氏のターゲットになりそうです。
小沢一郎氏は1942年生まれですので、九星気学では三碧木星という星になります。この星は若くして頭角を著す早熟の星ですが、高市総理、ロシアのプーチン大統領、小池百合子東京都知事なども同じ星です。
三碧木星らしく、小沢氏もかつては青年政治家として大いに注目されました。1989年に自民党の幹事長に就任。その後、海部氏の後継総裁を選ぶべく、大先輩にあたる渡辺氏や宮澤喜一氏を呼びつけて面接を行うなど大いに政界を賑わしたものです。
1990年代に入っては、細川・羽田内閣を作り自民党と対峙するなど、小沢氏が日本政界の中心にいると言っても過言ではない状況でした。
しかし残念なことに、長い政治キャリアにもかかわらず、小沢氏にはこれといった実績が見当たりません。佐藤栄作氏は高度成長と沖縄返還、田中角栄氏は列島改造、中曽根康弘氏と橋本龍太郎氏は行政改革、竹下登氏は消費税導入、小泉純一郎氏は郵政民営化、安倍晋三氏は経済立て直しなど、それぞれ爪痕を残しています。しかし小沢氏にはそうしたものが見当たりません。
かつて抜群の存在感を誇示した小沢氏も今年で84歳。もうトップに立つことは諦めているでしょう。しかし「終わった人」に甘んずることなく、世間・政界に一泡吹かせて今一度存在感を示し最後の花道を飾りたいという思いがあるのではないでしょうか。小沢氏の動きに注目です。
三碧木星の人とは:1916年、1925年、1934年、1943年、1952年、1961年、1970年、1979年、1988年、1997年、2006年、2015年の各年の立春以後、翌年の節分の前日までに生まれた人。
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