安倍元総理が凶弾に倒れてから2カ月以上が経過しましたが、統一教会や国葬の問題など、相変わらず安倍氏が巷の話題の中心になっています。「死せる安倍晋三、生ける政治家、マスコミを奔らす」という印象です。
安倍氏の死後、彼の功績について色々な議論が出ていますが、Research76では最大の功績として2011-12年頃の超円高の是正を挙げたいと思います。
安倍氏は2012年12月に総理の座に返り咲きましたが、それまでの3年間は民主党政権の時代でした。
民主党が与党となった時点での為替は、1ドル=90円程度で推移していたのですが、その後急速に円高となり、2012年1月にはなんと1ドル=76円を付けました(上のグラフ参照)。
何故2011年にこれほどに円高が進んだかについては諸説ありますが、11年3月に起きた東日本大震災が関係していると考えられます。
実際、その3月時点で為替は80円台前半だったのですが、徐々に円高となり年後半には70円台に入ってきました。
この時に話題となったのがレパトリ(レパトリエーション、Repatriation)という議論です。レパトリエーションとは本国への資金回帰という意味ですが、日本で大きな地震があったので、保険会社がその支払いに充てる資金を調達するために、海外の資産を売って、国内に資金を持ってきた-という議論です。
当時、私も経済記者をしていたので、非常に注目していたのですが、実際には保険会社がレパトリを行った事実は無いというのが当時の財務省当局者の答でした。
ではなぜあれほどに円高が進んだのかについては、ヘッジファンドなどの投機筋が「大きな地震があったのだから、早かれ遅かれレパトリがあるはずだ」と考えて、先回りして円買い・ドル売りを仕掛けたのだろうと考えています。
月ベースで史上最高の円高となったのは2012年1月につけた76.3円でした。内閣府が年一度発表する「企業行動に関するアンケート調査」によると、その年の輸出企業の採算円レートは82円程度でしたので、1月の円相場では大方の輸出企業は採算割れとなったと考えられます。
細かい議論は省きますが、円高となれば輸出から入ってくる円ベースでみた資金は減少し、輸出企業の業績は悪化します。ついには日本全体の景気の下押し要因になりますし、デフレ圧力も増大します。
当時の民主党政権も景気デフレ対策として補正予算を組んだりしました。また11年3月にG7による協調(円売り)介入があり、その後も為替市場に日本単で独介入するなどの円高対応策を打ち出しました。
また日銀も資金供給の拡大により金融緩和を強化しましたが、たいした効果は見られませんでした。
そこで出てきたのが、日銀がインフレターゲットを設定するのが効果的ではないかという議論です。
しかし当時の白川方明総裁はインフレターゲットに否定的な立場を取り続けました。白川氏は日銀の金融政策について何冊も著作を残すなど、日銀きっての理論家であり、その白川氏を論破できるような人物は当時見当たりませんでした。
ところが2012年12月に安倍氏が総理の座に返り咲くと、状況が一変します。
あれほどインフレターゲットを嫌っていた白川日銀がなんと、2013年1月に、事実上のインフレターゲットである「物価安定の目標」を打ち出したのです。
それによって為替は同月中に1ドル=90円台に回帰しました。月ベースで90円台に戻るのは2010年5月以来です。
この日銀の白川氏と日銀の態度急変については、安倍総理サイドから相当な圧力があったと考えられます。
その後は、同年3月に白川氏に代わり黒田東彦氏が日銀総裁に就任して「黒田バズーカ」といわれるような強力な緩和策を打ち出すと、徐々に円安となり、同年11月には1ドル=100円台に戻しました。
民主党時代に政府と日銀が色々と対策を打ってもほとんど効果が無かったものが、安倍氏が総理に再就任するや、1年ほどの短期間で超円高を是正してしまったのですから、驚くほかありません。
円は1985年秋の所謂「プラザ合意」以後、ドルに対して徐々に、しかし確実に強くなってきました。短期的に円安に戻す局面もありましたが、長期トレンドとしては円高が続きました。
これまでのそうした経緯を考えると、1ドル=75円程度まで円高になってしまっては、少々戻したところで、せいぜい95円あたりまでが限度だろうと私は見ていました。
しかし実際には、円相場は下落を続け、1年以内に1ドル=100円まで戻して、14年11月には110円台までもどしました。
安倍氏の登場により、当時最大の経済的課題であった円高はすみやかに是正されました。その後の日本経済は株価も大幅に持ち直して、徐々に好循環に入ったのです。
日本経済も12年12月から拡大局面に回帰して、16年10月まで長期の回復局面に入ったのでした。
経済記者として働いてきた私にとっても、この時の円高是正は私のキャリアの中で最も印象に残るイベントの一つとなりました。
ところで安倍氏は1954年9月21日生まれですので、九星気学では一白水星という星になります。この星は政治家向きの星で、総理経験者では、日本列島改造論の田中角栄氏、行政改革の中曽根康弘氏が同じ星です。
安倍氏の一白水星にとって今年は「停滞運」(不測の事態が多く、ツイていない時期)に当たっていました。気学の9年周期では最も衰運の時期だったのです。安倍氏のご冥福をお祈りします。
一白水星の人とは:1918年、1927年、1936年、1945年、1954年、1963年、1972年、1981年、1990年、1999年、2008年、2017年の各年の立春以後、翌年の節分までに生まれた人。
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