お盆に入りました。本日は番外、夏向きの話です。夏と言えば怪談です。2年前のお盆にも「実録:幽霊と遭遇した話」を書きましたが、今回は妖怪に関する話。
妖怪と言えば漫画家の水木しげる先生が有名です。先生は大戦中に南方に従軍し、その時に「塗り壁」という妖怪にあったとのこと。先生は生前、この話を日経新聞の「私の履歴書」の中で披露しています。
私は霊感というものが無く、妖怪と思われるものをみたのは、これまでで一度だけですが、その時のことを書いておきたいと思います。大分昔の話なので、ここあたりで記録しておかないと忘れてしまうのではないかと思うからです。
今から20年以上前のことになります。当時、私は田園都市線の梶ヶ谷という駅のそばに住んでいました。ちょうど7-8月の非常に暑い時期で、午後から仕事があったため、午後零時過ぎに家を出ました。
酷暑の中、梶ヶ谷駅のホームで電車を待っている時にふと、渋谷方面の空を見上げると、何とも不思議な光景を目にしたのです。
それは、下の絵のように、縦に何重かに折られた紐、あるいは布のようなもので、それが真っ青な夏空に浮かんでいたのです。白っぽい色で、全体の長さは結構長く、30メートル程度はあると感じました。
布でも重さがありますから、一時的に空間に浮かんでいてもすぐに下に落ちてしまうはずです。しかしその物体は地上20-30メートルほどのところで空間に浮かび続けていたのです。
風はあまり無かったと思いますが、縦折りの形が崩れることもなく、維持されていました。しかしよく見ると、かなりゆっくりですが、蛇がうねるように少しずつ動いているのが分かりました。
もう一つ不思議だったのは、私以外、誰一人として空に浮かぶ不思議な物体を見上げていたり「あれは何だろう」などと騒いている人がいないことでした。午後の至極暑い中ですから、あまり多くの人が出歩いていたわけではありませんが、その時にその物体が見えていたのは私だけだったのかもしれません。
現在であれば、スマホのカメラで写真に撮るところですが、当時はまだ携帯電話の出始めの頃で、カメラ機能も無かったと思います。そうしていうるうちに電車が来て、それに乗ってしまったので後のことは分かりません。
同じ年の夏にUMA特集の本をみていたら、私が見たのと非常に似た物体の写真が出ており「一反木綿」だと紹介されていました。
何故、あの時に私だけにそうした物体が見えたのか? 今、落ち着いて思い返してみると、やはり私自身が「どうかしていた」ということになりそうです。
「どうかしていた」というと、私が幻覚をみていたと思う方が多いと思いますが、私の見方は違います。私が見た物体は、幻覚というにはあまりにもリアルでした。
幻覚でなければ何なのか-ですが、自分が知覚できる範囲に一時的に異常、というかズレが生じていたのではないか-と考えています。
普通の人間が知覚できる音、色などは、ある波動、周波数の範囲に限られています。人間が知覚できないから、見えないから、聴こえないからといって、それが存在しないというわけではありません。
人間が知覚できない周波数も実際には存在して、そういう周波数を覚知できる動物もいます。蝙蝠などは、人間が聞こえないような音でも覚知できることは良く知られています。また犬などが何もいない空間に対して吠え続けているという話も良く聞きます。犬にはおそらく、人間が見えていないものが見えていたのでしょう。
私が見た物体は、本来、普通の人間には覚知できない存在だと思われます。しかし、私自身の覚知できる範囲に何らかのズレが生じたために、一時的に見えたのではないかと今は考えています。
ではなぜそうしたズレが生じたのか? 今思い返すと1990年代後半は、私のこれまでの人生で最も多忙な時期でした。
外資系通信社で経済記者として働いていました。いちいち例は挙げませんが、朝早くから夜遅くまで、おそらく今であれば「働き方改革」からは全く逸脱するような仕事ぶりでした。
私の勤務した通信社は業過では3-4番手で、トップの社に追いつこうと必死でしたが、人材の絶対数が慢性的に不足していたため、一人当たりの負担が非常に大きくなっていたのです。
その為、記者の多くが疲労困憊、病欠の人が毎日、少なくとも1人はいるという状況が続いていました。それがまた他の社員の負担増になる―という悪循環が続き、私自身も慢性的な人不足の中、予定していた休暇を返上して仕事に出たこともけして珍しいことではありませんでした。その点では家族にも迷惑をかけたと思っています。
普段、私は霊感というものはありませんが、この時期ばかりは、あまりにも自分の体を酷使し疲れさせたために、自分の覚知できる範囲にズレが生じたのではないか、そのために普段見えないものが見えてしまったのではないか-と今は考えています。
それ以後、こうした不思議な物体を見たことはありません。