平成と令和の谷間となった4月30日と5月1日の間の時間、皆様はどこで過ごされたでしょうか。おそらくは、自宅でテレビを見ながら過ごされた方が多かったのではないでしょうか。
私は東京の駒沢通りの日体大付近で車を走らせていました。令和最初に車中で聴いたCDはキース・ジャレットのトリオによる「Tokyo ‘96」でした。
自宅に帰ってテレビを見ていると、平成時代に無くなった仕事の特集がありました。その中で、駅で切符を切るという仕事が平成の時代に、自動化のおかげで無くなったことが紹介されていました。
そのために、以前は横行していたキセル乗りができにくくなったということです。それで思い出したのですが、私にはキセルで忸怩たる思い出があります。
高校生の時、せこく浅はかな考えから、何回かキセル乗りにトライしたことがありました。ところが何故が、かなり高い頻度で駅員に見破られてしまうのです。成功した例はほとんどありません。そのため何回か捕まり説教を受け、罰金を払いました。
捕まるとどうなるのか?当時は警察に突き出されたり、学校に通知がいくというようなことはありませんでした。駅の方でも、微罪ではあるし、少々の金額のために煩雑な手続きを経て届け出るのが面倒だったのだろうと思います。
そのかわり追加料金を取られました。通常料金の3倍を罰金として払ったと記憶しています。ですので、160円の区間でキセルがみつかると、640円払うことになりました。カネのない高校生でしたので、これは結構痛かったです。
なぜ見破られたのかですが、オドオドした挙動不審な私の態度が原因だったのでしょう。何回か罰金を払った後、キセルは一切やめました。
一方、私の友人で何回キセルをやっても全く捕まらない人もいました。その友人は勉強も私よりできて、人間的にも非常の魅力ある人物でした。
当時の私は自分の運の弱さを嘆く一方で、彼の悪運の強さを羨んだものでした。「自分には運が無いが、あいつは何故か運が良い」と。
平成最後のテレビ番組が、ふと若い頃の失敗を振り返る機会となりました。
あれから数十年、自ら多くの経験を経て、また社会や自分の周りで起こることを観察してきましたが、今思えば、あの時にキセルがうまくいかなかったことは自分にとって本当に良かった、むしろ幸運だったと思っています(負け惜しみではなく-笑)。
キセルがうまくいっていたら、若い頃の浅はかな自分のことですから「自分は運が人並外れて良い」などと勘違いして、ちょっとした不正がどんどんエスカレートしていった可能性も十分あったと思います。
世の中には、こうしたちょっとした不正行為をしても、それがすぐに露見してしまう人と、なかなか露見しない人がいます。往々にして前者は「自分は運が弱い」と考えて、後者の「運の強さ」を羨望しがちです。
しかし短期的に悪事が露見しない人は運の強い人と言えるのでしょうか?
短期的に悪事が露見しなかった人は、ともすれば「自分は運が強い」と勘違いしやすくなります。周囲の人も「あいつだけは何故か運がいい」と感じることもあるでしょう。
となれば、自然、何かにつけて小さいながらも不正がエスカレートしがちになります。その結果どうなるのか?
自分がこれまでの経験から言えば、何年か後に(周りの人がその人の強運に違和感を感じなくなった頃に)その悪事がバレて、取返しのつかない事態に陥るケースが少なくないと感じます。
些細な不正であっても、それが累積すれば、大変な規模の不正となります。それまでのツケをある時期に一気に求められるわけです。これを乗り切れる人はほとんどいません。
典型的な例が2007年に収賄容疑で逮捕された守屋武昌防衛次官のケースです。同次官は、自身の奥さんを含めた家族が徹底的に、出入りの業者にたかり続けました。
この人の場合もはじめは取るに足りない小さな収賄から始まったのでしょうか、それが露見しないことをよいことに、どんどんエスカレートしていったのではないでしょうか。
その収賄の規模の大きさ、やり口のせこさもあり、防衛次官にまで登りつめたにもかかわらず、逮捕された挙句に世間の信用を一気に失う結果となりました。まだ存命中のはずですが、社会的にはほぼ死んだ状態と同じでしょう。
この事件発覚後に「自分の不正は小さいうちに露見して良かった」と内心安堵した防衛省職員もいたのではないでしょうか(けして防衛省職員の多くが小さな不正に手を染めているという意味ではありません)。
同次官の場合も、仮に初期の時点で収賄がバレていれば、せいぜい上司の訓戒程度ですんだかもしれません。その後、大きく道を踏み外すことも無かったでしょう。
こう考えてみると、些細な悪事がバレない状態が継続することが、本当に「強運」と言えるのか大いに疑問になります。
世間的に「強運」と思われていることが実はそうではなく、「運が弱い」と思われていることが長期的にみれば実は強運であったということもありそうです。
ちょっとしたズルをしてもすぐにそれが露見してしまう人は長期的にみれば、むしろ強運の人かもしれませんし、自分は「強運」だと自信を持っている人が長期的にはとりかえしのつかない損害を被るということもあります。
世間では「自分は運が弱い」と思っている人が大勢だと思います。しかし、そう思っているためにかえって道を踏み外さないですんだということも多いのではないでしょうか。
そういう方は「人生全体という長期で見れば、実は運が良かったのではないか」と時に考えてみるのも良いと思います。
一方、小さな悪事がなかなかバレない人は、その仮初めの強運にいつまでも頼っていていいのか-と振り返ることも必要でしょう。上で紹介した高校時代の友人は30歳代の時に会っていらい杳として行方がしれません。