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海部俊樹元総理が亡くなりました。写真のように水玉のネクタイがトレードマークでしたが、その業績については、新聞報道などに任せたいと思います。

海部氏は私にとっても非常に印象に残る政治家でしたが、彼を知る切っ掛けとなったのは、1975年のいわゆる「スト権スト」の時でした。

当時は、現在のJRがまだ日本国有鉄道だった時代で、公共交通機関が頻繁にストライキを行い、通勤、通学に悪影響を与えていた時代でした。今とは大分違いますね。

そのストの中でも特に忘れられないのが、1975年に起こった「スト権スト」というものです。詳細は省きますが、ほぼ1週間にわたり、公共交通機関がストップしました。

この時の総理は、政治的な清廉さ、クリーンさを売り物にしていた三木武夫氏でした。そして、ストのさ中、度々テレビなどのマスコミに登場して、労組側を批判していたのが内閣官房副長官を務めていた若き日の海部氏でした。

当時の与党の政治家は、野党などに攻撃されても受け身一方の人が多かったのですが、堂々と自分の意見を述べ、論陣を張る海部氏は非常に輝いて見えました。

こうした活躍もあって一般の人にも認知されるようになった海部氏ですが、三木派(後に河本派)という小派閥に属していたせいもあり、その後は目立たない存在に戻ってしまいました。

海部氏が再び脚光を浴びるようになったのは、198889年のリクルート事件でした。リクルートコスモスの未公開株が与党の有力政治家などに賄賂として渡っていたことが発覚しました。

その影響で当時の竹下登総理は辞職、政界は混迷を極めました。竹下氏の後は、安倍晋三元総理の父君である安倍晋太郎氏が次ぐというのが既定路線でしたが、事件の影響で安倍氏を含む党内有力政治家も動きが取れない状態となってしまいました。

比較的無難とされていた宇野宗佑氏が総理に就任したのですが、女性スキャンダルが発覚、消費税導入後の経済停滞もあり、参議院選挙で自民党は惨敗。宇野氏は辞職に追い込まれてしまいました。

ここで白羽の矢が立ったのがやはりクリーンさを売り物にする海部氏だったのです。

海部政権は持前のクリーンなイメージを前面に押し出し、非常に高い支持率を誇りました。

しかし海部氏が属する河本派が弱小派閥であったことから、最大派閥である竹下派の援助無くしては立ち行かない状況だったのです。

特に「金竹小(こんちくしょう)」と言われた竹下登元総理、金丸信氏、小沢一郎氏からの強いコントロール下にあり、独自色を出すことは困難だったのです。

当時の大きな課題だった政治改革法案が廃案になった時点で、海部氏は衆議院の解散を模索しますが、金竹小に阻まれ、辞任に追い込まれてしまいました。

海部氏は193112日生まれですので、七赤金星という星です。このブログでも再三指摘してきましたが、この星はおカネに縁が強いのですが、政治家にはあまり向いていません。

それでも199111月まで24カ月にわたる在任期間は、戦後11番目となります。七赤金星の総理としては最長であり、立派な記録と言えるでしょう。

こうして海部氏の経歴を振り返ってみると、小沢一郎氏との縁が強いことに気づかされます。

海部氏を総理にしたのも、小沢氏を含む金竹小の面々でした。

その後、小沢氏は93年に自民党を離党し、新生党を立ち上げました。1994年に羽田孜政権が倒れると、首班指名選挙で、当時自民党に所属していた海部氏を候補に祭り上げました。

その後の発足した新進党の党首に海部氏を就任させたのも小沢氏であり、その後の自由党などでも海部氏と小沢氏の縁は続きました。

小沢氏は1942524日生まれですので四緑木星という星です。海部氏の七赤金星とはあまり相性が良くないのですが、不思議にこのコンビは長く続きました。

こうして見ると、海部氏は常に小沢氏に助けられてきたという印象があります。しかし逆の見方をすれば、小沢氏を鼓舞し、行動させてきたのは海部氏と言えるかもしれません。

今振り返ってみると、小沢氏が最も力を発揮し、輝いていたのは、海部氏との交流があった時代だったように見えます。

海部氏の死去にあたり小沢氏は「人間性に魅了された」「誰からも愛された」などと海部氏を激賞しています。

しかしこの小沢氏の言葉を聞いて「何をいまさら-」「白々しい」と思う方も多いではないでしょうか。というのは、かつて小沢氏が海部氏を馬鹿にしていたのは良く知られていたからです。

しかしその小沢氏も先の衆議院選挙では選挙区でまさかの落選。比例復活で辛くも当選しましたが、小沢氏の影響力低下を印象付けました。

過去数十年にわたり常に政局の中心にあり、その発言が注目され、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小沢氏がこの体たらく…。今では小沢氏が声を上げても、振り向いてくれる政治家は、ほとんどいなくなりました。

時代、人心の変遷の速さ、激しさを小沢氏も今強く感じておられることでしょう。海部氏の死去にあたり、かつて自分に活力を与え、輝かせてくれたのは、自分が馬鹿にしていた海部氏だったと感慨をもって思い返しておられるかもしれません。

謹んで海部氏のご冥福をお祈り致します。

七赤金星の人とは:1921年、1930年、1939年、1948年、1957年、1966年、1975年、1984年、1993年、2002年、2011年の各年の節分以後、翌年の節分の前日までに生まれた人。

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