「エレキの神様」と言われた寺内タケシ氏が亡くなりました。あまり若い人には馴染みがない方かもしれない-と一瞬思いましたが、よく考えると、寺内氏は全国の高校を回ってギターのすばらしさを伝導するという仕事を多年にわたってやっていました。であれば、意外に若い人にも知っている人が多いかもしれません。

今は人前で演奏することもありますが、私が初めてエレキギターを手にした時に、彼のレコードを聴きながら練習に励みました。そういう意味で忘れ難い人物です。

寺内氏を初めて知ったのは、1965年の加山雄三主演の「エレキの若大将」という映画でした。当時、ベンチャーズ、ビートルズなど海外バンドの影響で、エレキギターを弾く若い人が増えていました。一方、エレキギターが非行化につながるとして問題になっていた時期でもあったようです。

当時の自分はまだ小学生ですから、エレキギターにも加山雄三にも全く関心はありません。「エレキの若大将」を見たのは、自分のお目当てだったゴジラが出る怪獣映画と2本立てだったからです。

若大将に関心は全くないと言いながらも、その映画に出演していた寺内氏は妙に印象に残りました。同氏が演じたのは、ギターのうまい蕎麦屋の出前持ちの役で、コミカルな演技が光っていました。

その後、テレビでギターを弾いていた寺内氏を見つけて、彼の名前を知り、その行動を意識するようになったわけです。思えば、その頃から楽器が弾ける人への憧れというものがあったのかもしれません。

高校生になってからギターを始めたのですが、その切っ掛けはベンチャーズでした。その時に、ベンチャーズに大きな影響を受けた寺内氏のことも思い出しました。何枚かレコードを買って、一部をコピーしたりしたものです。

寺内氏とベンチャースのサウンドには基本的に大きな差はありません。ただ寺内氏はベンチャーズ以上に多彩なレパートリーがありました。「運命」などのクラシック音楽に加えて「津軽じょんがら節」など日本の民謡、純邦楽などカバー範囲の大きさには驚かされます。

1972年の日中国交回復時には、それを記念して「万里の長城」というレコードを出し、彼自身の作品に加えて伝統的な中国の音楽も演奏しました。

彼のステージを2-3回聴いたことがあります。一度は高校3年の夏休み中。高校3年の夏休みと言えば普通なら受験勉強まっしぐら-ということでしょう。しかし自分の場合は、代々木ゼミナールの夏期講習を抜け出して、寺内氏のライブが行われた新宿伊勢丹の屋上にまっしぐらに駆け込んだものです。

今は無き向ヶ丘遊園の野外ステージで聴いたことがあります。その時は、当時圧倒的なテクニックで人気だったエマーソン、レイク&パーマー(ELP)のナットロッカーという曲(原曲はチャイコフスキーのくるみ割り人形)を、ギターで軽々と弾きこなしているのをみて驚嘆したものです。

上でも指摘したように、寺内氏の音楽はベンチャーズに大きく影響されています。しかし実際にライブで体感した両者のサウンドは自分には大きく違って聴こえました。

というのは、1970年代当時のベンチャーズは、彼らがかつて使っていたモズライト社製のギター(上の写真で寺内氏が持っているギター)をもう使っていなかったことが大きかったと思います。

ベンチャーズのリードギタリストのノーキー・エドワーズが当時弾いていたのはフェンダーのテレキャスターでした。繊細な洗練された音ではありましたが、かつてのベンチャーズサウンドが持つ、ダイナミックな迫力は失われていました。

一方、寺内氏は当時も、モズライトのギターを使い続けていました。彼がギターは既に塗装も剥げてボロボロでしたが、フェンダーなど他社のギターの追随を許さない非常に迫力あるサウンドが印象的でした。

何年か前に、寺内氏の自伝的な本を読んだことがあり、そこで面白いエピソードが紹介されていました。

それは「3大ギタリスト」の一人であるジェフ・ベックが日本に来る度に、必ず寺内氏のレコード、CDを買っていくという話です。

「寺内さん得意のホラ話だろう」と言う方が多いとは思いますが、寺内氏のユニークな奏法(特に日本の民謡などを引いた時)そしてベックのギターに対する飽くなき探求心を考えると、有り得ない話ではないと思います。

数年前に、かつて自分が聴いていた寺内氏のレコードを探そうとしていたのですが、そのほとんどが既に廃盤になっていました。これを機会に、寺内氏のかつての名演が聞けるCDの再発を期待したいと思います。ご冥福をお祈りします。