これまでも、老後を無事に生きていくには〇〇円の貯蓄が必要-という議論が色々となされてきました。今回話題になっている金融庁の報告書では、65歳の夫と60歳の妻の背2人世帯の場合、その後の30年の生活費として2000万円が不足する-となっているとのことです。

「人生100年時代」を迎え、年金など月の収入が21万円、支出が26万円と仮定すると毎月5万円が、年で60万円が、30年間では2000万円近くが不足するという試算のようです。

貯蓄が2000万円以上無いと、老後に困窮すると聞いて、慌てている方も多いでしょう。実際、テレビのワイドショーなどでは、金利がほとんどゼロの環境下で、如何にして資産を増やしていくのかの特集も見られます。

多くの調査があるので一概に言えませんが、国民の平均貯蓄は2000万円程度と言われています。ソフトバンクの孫正義さんのようなケタ外れの資産を保有する富豪もいるので、平均貯蓄は一般の認識よりも高めに出がちです。

そこで貯蓄の中央値を見てみると1000万円台ということです。2000万円には遠く及びません。また貯蓄のほとんど無い世帯も少なくないようです。

加えて老後の年金についても、制度が破綻することは無くても、今後受け取り額の減少は避けられない-との見方が支配的です。

こうなると、国民の間に「自分は老後、困窮するのではないか」との恐怖が蔓延してこないか心配になります。

しかし私は、老後世代の多くが困窮するような事態は起こらないと見ています。なぜか。一言で言えば、需要と供給のメカニズムが働くためです。アダム・スミスがいう「見えざる手」が発動するわけです。

年金などの将来試算では、一般に現在の物価が基準とされていると思いますが、この物価は経済状況に応じて変動するということに注意が必要です。

老後に資金が足りないということになると、当然、多くの世帯は貯蓄を優先して、不要不急の支出を減らす行動に出ます。特に、現状2000万円以上の貯蓄を保有していない多くの老後世帯では節約圧力が増すと考えられます。

頑張って働き続けるという選択肢もありますが、そうしたところで、その収入は、若かった時のそれに比べて大きく低下しているのが現実です。

そして日本の少子高齢化傾向もあり、65歳以上の世帯数は今後どんどん増えていきます。国民全体の中で比重を増しつつある老後世帯が一斉に節約に走るとどうなるのか。需要の減退ということが日本全体で起こってきます。

例えば、老後世帯の懸念でよく聞くのは、介護施設に入る資金があるか否かですが、老後世代の多くが経済的理由で施設に入ることができなくなれば、現在の施設は余ってきます。

施設側としては、空いているスペースをそのままにしておけば収入はゼロとなります。しかし空いているスペースを活用しないのももったいないので、施設費の値下げをしてくると予想されます。値下げ前よりも収入は減りますが、それでも収入ゼロよりもましと言えます。

このように貯蓄の多くない老後世帯の増加は日本全体の需要減退を引き起こし、その結果として、介護施設だけでなく、あらゆる所で値下げ圧力が発生すると予想されます。そうなれば、現在のあまり多くない収入、貯蓄でも何とかやっていけるということになるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、年金の将来試算というものは、現在の経済・物価状況が基準になっていると思いますが、少子高齢化によってそれが変わってくることに注意が必要です。

景気悪化には拍車も

このように、多くの老後世帯が将来困窮するという事態は回避できるとみていますが、今回の2000万円問題は、足元の景気にはかなりマイナスになりそうです。

足元の景気については4月末のブログ「景気点検:3月鉱工業生産が示す景気減速、消費税引上げ延期論に追い風?」でも指摘しましたように、減速感が強まっています。

こうした環境の中で老後の不安を掻き立てるようなニュースが出てくれば、当然、現役世帯を含めて多くの世帯で財布のひもを締める方向に動くと考えられます。

そうした行動は消費減退を引き起こし、景気をさらに悪化させる可能性があります。まずい時にまずいニュースが出てきたものです。

また日銀の2%物価目標ですが、達成時期が一段と不透明になってきたと言えそうです。今年初めには「今回のアベノミクス景気は戦後最長となる」との可能性が言われましたが、これほど長い景気拡大が続いている現在でも2%は達成されていません。

今後、景気のさらなる減速が予想されますので、2%目標の達成も今後数年はお預けということになりそうです。

ただ、現状で2%目標の達成は絶対無理かと言えば、そうとも言えません。オイルショックのような供給側のトラブルが起きた場合には2%を突破することは考えられますが(実際に日本のタンカーがホルムズ海峡付近で攻撃を受け、原油価格が急騰しているようです)それは政府・日銀が想定している状況ではないでしょう。

経済学は社会科学であり、物理学のような自然科学とは違います。この違いについて私は、人々のメンタルの影響を大きく受けるのが社会科学と考えています。

例えば、今後給料が増えるとか、明るいニュースを聴けば、もっと高級な自動車に乗り換えようとか考える人もいるでしょう。そう考える人が増えれば、実際に需要が拡大して景気改善につながります。

逆に、今回のように悪いニュースを聴けば、景気悪化へのインパクトの程度は分かりませんが、少なくとも景気にプラスということはあり得ません。

足元、衆参同時選挙の可能性が薄れた、消費税引上げの先送りが無くなった-という報道をよく耳にします。しかし、今回の2000万円の騒動を受けた今後の景気状況いかんでは、先送り論が再び浮上する可能性も否定できません。