※このブログは以前発表したものを加筆したものです。

「芋粥」

私がまだ学生だった頃リリースされたジャズの名盤が、最近1000円とかの廉価版でよく再発されています。学生の頃はお金がなくて、こういう名盤を買いたくても買えず「いつかお金が入ったら、思い切り買ってやろう」と思っていたものです。

ところが、実際にCDを買える余裕ができて、さらに往年の名盤が安く手にはいるようになってきた現在、自分が積極的に買っているかというと、そうでもないんですね。どうしたわけか、買うことに躊躇してしまう。なぜか、さほど有りがたくないんです。

これはどういうことなんでしょうか。芥川龍之介の「芋粥」の主人公と同じ心理なのかもしれません。手が届かないからこそ、強く求め憧れるが、簡単に入手できることが分かってしまうと、ありがたみが急に薄れてしまう―人間の性(さが)っていうもんですかね。

「全員がソロをとるが、誰もソロをとらない」

そういう心理状態の中で、今は亡き伝説のフュージョングループ、ウェザーリポート(以後、WR)の第二作「I sing the body electric」を久しぶりに聴いてみました。WRの初期、1971年頃の録音です。ロボットみたいなジャケットが当時はすごくカッコよくて、欲しかったものです(上の写真)。

CDになって買うのは初めてですが、改めて聞いてみると、ジャコ・パストリアスが加入してポピュラーな人気が出てきた後のWRのサウンドとは全く違っていて、これが同じグループの音なのか? と驚きすら感じます。

WRのリーダーでキーボードのジョー・ザビヌルがWR初期に「我々は全員がソロを取るが、誰もソロをとらない」と意味不明のことを言っていました。バンドメンバー全員が集団で同時に即興演奏をするが、特定の一人をフィーチャーすることはない—という意味にも解釈できます。

普通のジャズの演奏の場合(ここでは、サックス、ピアノ、ベース、ドラムスのカルテットを想定)、まずテーマを弾いた後、サックスがソロ(即興演奏すること)をとりますが、そのバックでピアノ、ベース、ドラムスの3人はサックスのバッキング(伴奏)に徹します。

サックスのソロが終わると、ピアノがソロをとり、ベース、ドラムスが伴奏を続けます。その後、ベースやドラムスがソロをとる場合もあります。つまり通常のジャズでは、ソロをとるのは常に一つの楽器であり、サックスのソロの後ろで、ピアノやベースが同時にソロをとることは原則としてありません。

しかし初期WRでは、サックスのソロの後ろで、キーボードやベースが同時にソロを取っているように聴こえるのです。つまり集団による即興演奏です。これは当時としては斬新で画期的な試みだったのでしょう。

しかし中期、後期のWRになると、集団即興演奏は影を潜め、普通のジャズと同様にソロを順番に回す形に回帰しています。なぜ集団即興演奏は捨てられたのか。

個人的な想像ですが、一般的なジャスファンにとって集団即興演奏は「無秩序」「混乱」としか聞こえなかった可能性があります。勿論、演奏しているミュージシャン自身は、曲の何小節目を今弾いているかをはっきりと自覚しているはずです。

しかし予備知識の無い聴衆にとっては、音の洪水となり、誰が曲のどこを弾いているかもわからず、曲自体のイメージもつかめず、まして音楽にノレもしなかったということも考えられます。

また集団即興演奏となると、どの曲も同じように聞こえてしまう―ということもあるかもしれません。ちょうど末期のジョン・コルトレーン・グループのように。

実際、この「I sing the body electric」を聴いてみて、私自身も曲の違いがよくわかりませんでした。ジャズを40年以上聴いている者がそう思うのですから、当時の多くのファンがそう感じたとしても無理はありません。

加えて、WR初期の曲は抽象的かつ無機的であり、歌詞をつけて歌えるというようなものではありませんでした。サウンド全体も色彩が感じられず無彩色に聞こえます。

勿論、こういう演奏でも、当時根強いファンはいました。こうした音楽を心から楽しんでいた人もいたはずですが、一方「最先端のジャズが分かる自分ってすごい」とか「ロックとかポップスを聞いてるヤツとは自分は違う」という低俗な自己陶酔、優越感にひたりながら、やせ我慢をして聞いていた人も多かったのではないでしょうか。

実は自分もその一人でした。ただ、こうしたサウンドでは多くのファンを獲得するのは難しかったでしょう。ミュージシャン自身も限界を感じていたかもしれません。

ベーシスト交代で急激にポップ化

初期WRのこうした集団即興演奏、抽象路線は第4作の「Sweetnighter」あたりまでは維持されましたが、ベーシストがミロスラフ・ビトウスからアル・ジョンソンに代わった「Mysterious traveler」あたりから徐々に縮小され「ベースの革命児」J・バストリアスが加入した「Black market」以後は完全にポップ・ファンキー路線に転じました。ファン数も激増し「伝説のグループ」と言われるようになっていったわけです。

その後「Heavy weather」が大ヒットし、その中の1曲「Birdland」がスタンダードナンバー化していきます。ビッグバンドも取り上げ、歌詞をつけて歌うグループすら出てきました。

思い返すと、初期WRは、主要メンバーのザビヌルとサックスのウェイン・ショーターが「ジャズの帝王」マイルス・デイビスのバンドや録音に参加していたこともあり、マイルスの抽象路線、ミステリアスかつダークな部分をかなり引き継いでいました(マイルス・バンドは初期WRほどに徹底した集団即興演奏ではなかったですが)。

しかしマイルスは1975年からの一時的引退期に入ります。それと呼応するようにWRがポップ・ファンキー化に踏み切ったのは興味深いことです。

その後、1981年にマイルスはカムバックしますが、かつてのマイルス独自のミステリアスかつダークな部分は全く失われ、マイルス自身の最先端のファッションも相まって「カッコいいポップス」に堕してしまいました。「堕した」とあえて書きましたが、当時の私には復帰後のマイルスのサウンドは「通俗化」としか思えませんでした。

マイルスが影響を与えたミュージシャンは数多くいますが、その多くもWRと同様に、マイルスの一時引退期に急激にポップ化しました。ハービー・ハンコック、チック・コリア然りです。

マイルスがカムバックに際して、かつて自分が影響を与えた子分から逆に影響されたというのも皮肉なめぐり合わせです。

現在ジャズ界をみても、1969-75年のマイルス・バンドや初期WRのような強い抽象性、ミステリアスさ、ダークさ、そして集団即興演奏—という路線を引き継いだグループは見当たりません。ちょっと寂しい気もしますね。