ジャズ喫茶黄金期の遺産

私のような「ジャズおやじ」にとって1970-80年代はジャズ喫茶の黄金時代だった。10歳台後半からジャズ喫茶回りを始めて40余年。集めたジャズ喫茶のマッチもかなりの数に。自分のコレクションを整理する意味でも、全国のジャズおやじと往時を振り返るという意味でも、自分が訪れたジャズ喫茶のマッチを紹介したい。

1980年代前半のジャズ喫茶の状況をリポートしたシュートアロー氏の「東京ジャズメモリー(文芸社)」は力作である。私はシュートアロー氏より少し年上だが、彼(彼女?)に先を越されたという悔しさも少しはある。東京ジャズメモリーで紹介されているジャズ喫茶には、私が頻繁に出入りしていた店も少なくない。シュートアロー氏とは、おそらくどこかで出会っていたはずだ。

タバコを吸うことはかつて成人男子の一般的なたしなみだったが、今やタブーである。会話厳禁の中、タバコはジャズ喫茶で一人でじっくりジャズを聴くうえで当時の必需品ですらあった。だからジャズ喫茶にはその店のマッチがあるのが普通だった。

しかし時代は大きく変わった。スモーカーは今や肩身の狭い思いをしているし、ジャズ喫茶での長時間滞在も忌まれるようになった。今もジャズ喫茶の数は多いし、70-80年代よりも減っているとは感じない。

しかし最早マッチを作っているジャズ喫茶はほとんど無い状態。今後もその傾向は続くだろう。ということは、ジャズ喫茶のマッチは70-80年代のジャズ喫茶黄金時代の「貴重な遺産」と言えるだろう。その貴重な遺産をショーとコメントとともに残しておきたい。

 

ジャズ喫茶黄金時代:「直立猿人」のマッチ
東京蒲田に今も続くジャズ喫茶の老舗。昔のジャズ喫茶のマッチを久しぶりに見ると、一部が朽ちていた。もらったのは30年以上前、しかも紙だから仕方ない。「直立猿人」は今もあるので、もらいに行きたいが、昔と違って禁煙が進んだ昨今、マッチが無い店も多い。と考えると昔のマッチは相当に貴重。コレクターの皆さん、昔のマッチは大事にしましょう。

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ジャズ喫茶黄金時代:「Ash Tray」のマッチ
1970年代後半から80年代前半まで麻布十番の住宅街にあった、知る人ぞ知る個室のようなジャズ喫茶。レコードは100枚も無かったと思うが、くつろげる店だった。若いマスターが一人でやっていて「猫まんま」が売り物だった記憶している。

ジャズ喫茶黄金時代:「A&F」のマッチ
1970-80年代の吉祥寺は、寺島氏のメグ、大西氏のA&F、野口氏のファンキーの3店が競う「三国志」時代。伝統的ジャズ一筋のメグに対して、ファンキーは当時流行のフュージョンに好意的。その中間がA&Fだった。A&Fに次いで、来年はメグも閉店予定という。残念だが、ファンキーは健在だ。

ジャズ喫茶黄金時代:「パノニカ」のマッチ
鹿児島でジャズ普及に尽力した中山信一郎氏の店。今の鹿児島中央駅近くにあったが、後に天文館に移設。1970-80年代はピアニストの渋谷毅氏など日本人ミュージシャンのライブに積極的。ミニコミ誌も出すなど気合が入っていた。今年9月に閉店した「門」とともに鹿児島ジャズの一時代を築いた名店。

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ジャズ喫茶黄金時代:「タロー」のマッチ
1970年代後半あたりに西武新宿駅のそばにあったライブハウス。当時、伊勢丹新宿店の近くにあった「ピットイン」と新宿ジャズライブの覇を競った。中はかなり狭かったが、ミュージシャンとの一体感があった。歌舞伎町に近いこともあり、店の行き帰りには、風俗店の客引きに絡まれることもあり、怖い思いもしたものだ。

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